古代人のせいで情緒が迷子

FF14のメインストーリーをちまちま進めておりまして、リアル時間で半年近く古代に置き去りにされていたヒカセンがようやく現代に戻ってまいりました。古代めっちゃ楽しかった…。ユートピアなのかディストピアなのか何とも判別し難い世界観というか価値観? だったんですけど、個人的にはこういう世界もアリだなあと思ったりはします。まあ、ヒトの立場にあれば、の話ですけども。

以前メガテン3をやってたときに、私がある意味では理想としているのはシジマルートだという話をしましたが、古代人の世界もそれに近いものがあるのかなと思いました。個というものをそこまで重要視するわけでなく、優れた意見は皆の共有財産とすべきであり、永遠に近い時を生きて、対立が生まれても同じだけ相手を尊重して。自分たちの生きる世界をより善くすることこそが至上命題。大きな変革があるわけではないけど、大きくかき乱されることもない。そういう世界は私の目にはある種の理想郷に映りました。何なら「役目を終えたら星海に還る」ことを自分で選べるというのも良いですよね。

「星と愛し合っていた」という表現はちょっとどうかと思ったけど。まあしかし、星を知り、星をより住みよい環境にするためにエーテルを行使し、循環させていくという古代人の行いは星にとって善き行いであるという思想なので…。

が、実際には「星を善くする」という大義名分の下、自らの創造魔法で様々なかたちの命を産み出しては、それが星にとって善きものかどうかを審査し、選別するという行いが普通に繰り返されていたわけでね。まさにユートピアとディストピアは表裏一体。現代の価値観では倫理的にどうなのという行いなのですが、こういうことが当然でありヒトの役割であるという思想なのでね。

そうやって続いてきた古代人の歴史なわけですが、当然というか何というか「それってどうなの」という疑問を呈するヒトもいたわけで、何やかんやあって最終的にコイツが終末の種を蒔いてしまったのですよね。てがろぐの方ではちょこちょこ呟いてたのですが、エルピスの花に導かれて古代にタイムスリップしてきたヒカセンは数人の古代人に接触を果たし、終末がこの世界を襲うこと、その後起こった出来事について話します。

その話を聞かされた古代人こそがかのエメトセルクであり、ヒュトロダエウス、そしてヴェーネス(後のハイデリン)だったのですが…。ここまで話を聞いといて、挙句目の前で終末の種が芽吹いたところまで見たというのに、何でエメトセルクもヒュトロダエウスも終末について何も知らなかったし、ヒカセンについても初見ムーブだったのか…と思っていたらまさかの記憶消去。エーテルってほんと何でもアリだな

宇宙にある数多の星々に息づいていた知的生命は「なぜ生きるのか、生きる歓びは何なのか」というヘルメスの問いに対して「そんなものはない。どう足掻こうといずれは終わる命に生きる意味はない」という答えを提示。それを受けて「では今こそヒトの裁定を行うとき。終わりにヒトが抗い、生き延びたのならきっと生きる意味はある。抗いきれず他の星々と同じように滅びを迎えるだけならば、そういうものなのだ」として、いずれ突如訪れることになる終末に対して、ヒトは違う答えを提示できるというのならしてみせろとその場にいた全員の記憶を消して、運を天に任せるというのは何というかこう、すごいことを考えるな…と。

何としてもヒカセンだけはここで見知ったことを持ち帰ってもらわねばならない、とエメトセルクとヒュトロダエウスが無言の連携プレーでヒカセンとヴェーネスを逃がしたシーンはもう鳥肌立ってしまった…。拙者、息ピッタリコンビが大好き侍ゆえに…。「キミならそうするって思ってた」「付き合いの長いどこかの誰かの好む手だ、すっかり慣れた」ってお前ら…お前ら…(頭を抱える)

現代のみならず、古代でもエメトセルクに託されてしまったヒカセン、もういい加減潰されてもおかしくないのでは…という気がしてきた。