古代人のせいで情緒が迷子

何かこう、この一連のイベントを見た上でヒカセンに出会った記憶が全部消されてしまったヒュトロダエウスの「エーテル照射によって消えた記憶は、星海に還る際に魂が洗われるときに戻る説があるらしいね」という何気ないセリフを見るとね、漆黒ラストのエメトセルクのあの表情…!! ってリアルにうめき声を発してしまった。「どうせならもっと良いことを思い出したいものだ」ってエメトセルクは言ってたけど、仮に思い出したとして、その記憶がコレって死んでも死にきれんやろエメトセルク…。

いやしかし、漆黒5.0終盤のエメトセルクの行動、6.0で過去の本人(ややこしいな)も「理解不能な行いだ。敵であるお前にわざわざヒントを与えて、自ら失敗したようなものではないか」と言ってたくらいだし、言われてみればそうだよなあって思ってたんですけど、わざわざあそこに在りし日のアーモロートを再現してヒカセンを呼び込んだ理由、もしかしたらですけどただ「私達があの日々にこだわる理由も分かるだろう、お前達の矮小さを知れ」と言いたかっただけじゃなくて、そしてただ望郷の念や郷愁に浸るためだけでもなくて、もちろんそれもあるんだろうけど、ゾディアークを創り出したときから何か違和感を感じていて、その正体を探すためだったのかなとも思ったりしました。なぜヴェーネスがハイデリンとなってまで、あの日々を取り戻すことを否定したのか、自分たちの行いは正しくはなかったのか、いやそれを否定することは自分たちのアイデンティティそのものを否定することにもなるという複雑な想いがありつつ、本当にあれしか道がなかったのかと長い長い年月の間に色んな疑念が膨らんできた結果なのかもしれない。

古代に生きていたエメトセルクはそんな自分の行動を「そんなことはゾディアークの贄となって役割を全うしたヒトへの冒涜だ。自分がそんなことをするはずがない」と称していましたが、ヒュトロダエウスがゾディアークの贄になりに行くのを止めようとして結局何も言えずにいたシーンを見るにつけ、人々がゾディアークの贄となったことについてはある種の理不尽を感じていたんでしょうね。終末が来なければ、そんな役割は生まれなかったわけだし。エメトセルクとしても、ゾディアークを召喚することは根本的な解決にはならないと分かっていたけど、それでもあのときの十四人委員会が取れる最善はそれしかなくて、本当にそれしかなかったのかと問い続けることになるのもむべなるかな。終末はそれだけエメトセルクの価値観を変えた出来事だったとも取れるかなと思ったり。

そんなこんなで、ようやっと暁月6.0もラスボス戦が近づいてきました。考えてみたら暁月に入ってからゾディアーク戦しか討滅戦がなかったような気がするんですが、もしかしなくても最後に三連戦くらいあったりするんだろうか…。