最終エリアに向かうことになったのと、アーリーアクセスからそろそろ1ヶ月経つので自機を男性に戻しました。やっぱりストーリーのクライマックスは本来の姿で迎えたい。友人との体格差とか諸々も堪能しましたしw
スクショ撮るのは忘れちゃってたけど、何気にグラフィックアップデート入ってから初めての男性自機、あんまり変化なくて面白くなかったな…()
トライヨラへの帰還
ゾラージャを討ち、次元の向こう側へ逃げ去ってしまったスフェーンの行方を追う方法を探すのは頭脳組に任せ、ウクラマトとヒカセンは当面の脅威は去ったことを報告すべくトライヨラに戻ることに。
城ではコーナ兄さんが文字通り首を長くして義妹の帰還を待ちわびていました。姿変わってるのによく自機だとわかったな
グルージャの存在に驚く兄さんでしたが、すぐに「確か障壁の向こう側とは時空のズレがあるんでしたね…」と理解していた辺りが本当にすごい。私は未だにピンと来ないwwwそもそもマムージャ族自体、外見で年齢を判断しづらいしな〜。冷静に考えると、アレクサンドリアで30年を過ごしたゾラージャは魂ドーピングがあったとはいえ既に肉体的には壮年を越えて中年の終盤くらいか? そう考えると、勝てたのはまあ、そういう要素もあったからかもしれない。


ゾラージャに対してトライヨラ国民は当然反感を抱いてるけど、それを子供であるグルージャにぶつけるな、アタシらが二人で受け止めるからと国民をちゃんと説得したウクラマト、初めて会ったときに比べるとほんと立派になりました。

トライヨラの現状確認も兼ねて、4人で話しながら歩いて回ったわけですがやはりゾラージャは「奇跡の子」「立派な次期国王に」という呪縛から逃れ「自分は自分だ」と証明したかったのではないか、というのがひとつの答えのようですね。トライヨラを支配し、全世界を統一するという彼の目標も、先代連王がなし得なかったことであり、かつ明確に対立するものだから掲げていたのかなという気がします。彼にとっては先代連王に勝ち、超えたことを内外に知らしめることこそが自分の存在を証明する唯一の手段で、その他の手段を知ることなく終わってしまったのが悲しいところ。グルージャを捨てなければまだ、他の道もあったと学べたのかもしれないのにね。
それにしても、ヴリトラやアジュダヤとも話したかったのに、助太刀が一段落ついたらさっさと帰ってしまってたらしいのが残念。もう少しゆっくりしていきなよ〜。まあ、ヴリトラはラザハンの太守だし、今回は本体自ら出てきてたから長居できないのも分かるけどね…。ドラゴン族の移動力を以てしてもそんなすぐ帰れる距離じゃないだろうし。
そんなこんなでスフェーンの行方を追う方法に目処が立ったとのことで、再び天深きセノーテに向かうことに。まあ、やっぱりここからクルルさんが出てきたということを踏まえるとね、ここだよねっていう。
ヤシュトラが言うには強引にこじ開けたヴォイドゲートとは比較にならない安定性を持つゲートのようで、「世界を繋ぐ力」のすごさを実感。というか、最初からヤシュトラを連れてきていればここの調査ももう少し早くに進展があったのではなかろうか(禁句)


クルルさんがガラフ(と両親)に託されていた耳飾りでゲートを開くことができたので、かくして一行は天深きセノーテの最奥部からスフェーンを追うのでした。
リビング・メモリー
トンネルを抜けた先は、黄金郷でした。




いやー、まさにヨカフイ族の伝承どおりの光景が広がっていました。アレクサンドリアの永久人たちが暮らすリビング・メモリー。誰もかれもが穏やかに笑い、叶わなかった夢を語りながら、もう、何も失わない「生」を満喫している。そこにいる人たちは生きている人たちとは何ら変わりなく、永久人ではないヒカセン達が紛れ込んでも気付かない。
生きているのと死んでいるの境目って何だ…(混乱)
と混乱するプレイヤーをよそに、ストーリーは容赦なく進むわけで、スフェーンに何とか会うことができました。分かってても会話しに出てくる辺り、律儀というか何というか…。というよりアレか、こうやって宣言することで自ら退路を絶っているのかもしれない。





お互いの護りたいものが相容れないとき、どうやって解決すべきか。結局ヒカセンもこれまでの旅路では最後は戦うしかなかった。勝利した方が正義として、護りたいものを護れる。そりゃまあ、これはゲームなので最終的には戦って力を示すしか解決方法はないし、護りたいものを護るには、自分たちの未来が閉ざされないようにするには、どうしても戦うことは避けられないのは分かるけど、それ以外に解決方法がない、というのももう少し何かないのかなとも思うんですよね。
他の方法でどうにかなる時期は過ぎてしまったということなのかな。
リビング・メモリーに住む永久人を護るために、「生前のスフェーン」の記憶と人格を消去し、原初世界も含めた他の鏡像世界を喰らう道を選んだ彼女ですが、それはもはや「アレクサンドリア王スフェーン」ではないのではなかろうか…。仮にそれでアレクサンドリアが生きながらえたとして、全ての鏡像世界を喰い尽くしてしまったらどうするんだろう。それこそFF9のテラみたいに、他の命ある星を喰らいながら宇宙を放浪して生きていくの…?
そこまでしなきゃいけないものなんだろうか。

とまあ、色々考えてしまうわけですが、カフキワ(やっぱりここで永久人になってた)が言うには、今のスフェーン自身も「生前の民想いのスフェーンをベースに作られた永久人を護る王」ということで、まあ要するに元々スフェーンであってスフェーンじゃないんですな。人為的に魂を操作して記憶を抜き出すということは、当然細工の余地もあるわけで、リビングメモリーに住む永久人が多少の未練は持っていても生前に執着しないのは、そういうこともあるのかもしれません。

そんなカフキワの願いは、「スフェーンが世界を繋ぐ力の起動のために動けない今のうちに、永久人たちの記憶が保存されているターミナルをシャットダウンしてほしい」とのこと。そうすることで少なからず他の世界と繋がっても犠牲を減らせるはずだし、このシステムは終わらせるべきなんだと。
やるしかないよねえ。

永久人となっていたナミーカとオーティスに再会し、彼らの想いを背負ってターミナルをシャットダウンしていく。美しい黄金郷の街並みが消え、歩いていた人たちも消えてしまった。
彼らは皆穏やかで、もう思い残すことは何もないと語りながら消えていった。永久人として生きていた彼らは、いったい何を思って生きていたんだろう。何かを生み出すこともなければ、何かを失うこともない。
「終わったはずの人生に続きがあって、愛した人の結末をハッピーエンドにできるなら、この世界に感謝する」と言っていたNPCがいたけども…ハッピーエンドになった後も永遠に生き続けるしかないこの世界で、何を思いながら生きるのか。私には想像つかないですね。
永久人は増えてるのか減ってるのか
リビングメモリーで永久人たちの話を聞いているとスフェーンやカフキワのように「増える一方だから資源が足りてない」という人がいる一方で、住民の認識としては「新入りも来るけど全体としては減っている」という認識っぽいんですよね。


まず、共通認識として「永久人が増えるペースは落ちている」というのは間違いないようです。まあ、永久人を構成するエネルギー不足の現状ではむやみやたらと増やせないのはそれはそう。
けど、「減ってる」というのは何というか解せない…。永久人は死ぬことはないので、増えることはあっても減るなんてないと思うんですけど、実はひっそり間引かれてるとかそんなことがあったりするのかしら。ああでも、「魔物に襲われたら次はいつ起こしてもらえるか分からない」みたいなことを言ってるNPCがいたので、そこらを歩いている魔物にうっかり「殺された」後、新しい身体を貰えていないという人が増えてきたのかもだなあ。
もう既にこういう形で間引きが始まっている上に、新規の永久人も待機列ばかり長くなってるという話を鑑みると、本当に限界だし破綻は始まっているのに、このシステムの維持に躍起になるスフェーンとは対極的に、もう思い残すことはないと消滅を受け入れる住民たちを見てると何とも言えない感情が湧くな…。
演劇
突然演劇が始まったのも笑ったけど、ヒカセンとウクラマトがチャンバラ殺陣に出ることになったのも笑ったな〜。突然FF9ブッ込んでくるやん。残念ながらチャンバラのミニゲームはなくてムービーだったんだけどね。チャンバラ、100点取れた試しがないですね…。

