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2019/09/05 09:13
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 フィガロ城でエドガーと初めて過ごした夜のことまで思い出したところで、薄れゆくティナの意識は少しだけ明瞭さを取り戻した。本当にしあわせな夜だった。今思い出しても胸が温かくなる。
 自分が何者かもわからず、ただただ悪夢に怯えて泣いていたところに光を入れてくれて、温かい身体で抱きしめてくれた人がいた。初めて会った後「生まれつき魔導の力を持つ人間などいない」と強く言い切られ、きっと相容れないのだろうと思っていたはずの彼は、泣いている自分を抱きしめ、「自分が何者で、何をしているのか、どこに向かえばいいのかすらわからないのは怖いだろう……」と掠れるような声で呟いて、「俺もそうだった」と腕に力を込めた。
 その瞬間、思った。
 ああ、この人も私と同じ想いをしてきたのなら、何者かもわからない私のことを受け入れてくれるのかもしれない。
 そして彼は、その予感通り彼女を受け入れてくれた。苦しそうな顔をしながら、それでも拒むことはなかった。拒まれなかったということが何より嬉しかった。

「ティナ! もういいわ! 貴方の力はもう……!」
「ティナ……!」

 崩れ行く瓦礫の塔から飛び立つファルコンの前方を飛びながら、薄れゆく意識の中でティナは仲間達の顔を見た。年齢も立場も目的すらもバラバラの仲間達が異形の姿をした自分を案じて必死で呼びかけてくれるのが聞こえる。相容れない存在同士の間に生まれた自分を恐れずに受け入れてくれ、共に世界の未来を守るための戦いに身を投じた。皆と戦えたことをとても誇りに思う。
 その中でも一際目を引く、太陽のように鮮やかな金の髪を紺青のリボンでまとめた砂漠の若き王の姿に、ティナはふっと微笑みを見せた。
 エドガーとは色々なことがあった。初めて出会ったときは敵なのか味方なのかもわからず、全てを見抜くかのような真っ直ぐな紺碧の瞳が恐ろしくて仕方なかった。でも、エドガーは「俺も君と同じだ」と言って泣いていたティナを抱きしめてくれた。身体を繋げることで、人が温かいものなのだと初めて教えてくれた。あの日から、ティナはエドガーといれば怖いものはなくなった。
 今もそうだ。力がどんどん抜けていって、自分という存在が消えようとしているのを感じているのに、不思議と恐怖はなかった。
 どうして今、やけに色々なことを思い出すのだろう。走馬灯というものなのだろうか。
 未来を繋ぐための戦いには勝利できた。ディーンとカタリーナの生み出す新しい命は、蘇る緑の中で今度こそ新しい平和への道を繋いでいくのだろう。あれほどわからなかった愛する心も、愛する人も見つけた。探していたものは、全て胸の内にある。けれど、それも全て消えてしまう。ケフカが言うように、せっかく見つけたものも、守ったものも、このまま魔導の力と共に消えてしまうのだろう。
 ……でも、私は消えてもまだ見たいものがある。
 カタリーナが産みの苦しみを乗り越えようとしているのが見える。その新しい命が生きていく時間を見ていたい。

「セッツァー! ティナを!」
「わかってる! お前ら、今度こそ振り落とされんなよ!」

 エドガーの指示に呼応して、ファルコン号がスピードを上げたのも見えた。
 目を閉じれば、あの夜のエドガーの言葉がその温もりとともにありありと思い出せる。フンババとの戦いで傷ついたエドガーを見たとき、エドガーがいないのはもう嫌だと思った。エドガーが愛していると言ってくれたとき、エドガーのそばでずっと一緒に生きていきたいと願った。エドガーが自分の中に愛し合った証を刻み込んだとき、眠るならエドガーの隣で眠りたいと欲した。

「ティナ!!」

 ……ねえ、お母さん。お母さんにとってはここは嫌な世界だったかもしれないけど、お母さんが幻獣界でお父さんに出会えたように、私もこの世界で愛する人に出会えたの。だから、お母さんが幻獣界に残ることを望んだように、私も……この世界に……。

 エドガーと一瞬視線が合った気がした。エドガーの紺碧の瞳は、希望を失っておらずティナに語りかけてくれている気がした。
 ティナの意識はそこで途切れた。
 力を失って、重力に従って落下速度を上げる彼女にファルコンが追いすがる。振り落とされないよう甲板の手すりに捕まりながら、エドガーはティナが最後の瞬間に一瞬微笑んだのを見た。
 ティナを拾おうとして、ファルコンが急激に船首の角度を変える。慣性の法則に従った衝撃で甲板に叩きつけられ、エドガーはそこで意識を手放した。ティナの笑顔が「大丈夫」と言っているように見えたのは、都合が良すぎるだろうか。それでも、なぜかエドガーの中には確信にも似た希望があった。ティナは魔導の力と共に消えたりはしない。
 遠くで、ティナの声が聞こえた気がしたのだ。「まだ、がんばれる」と。
 ――手放した意識が戻ってくる。目を開ければ、甲板の先端でセリスとセッツァーが意識のないティナを介抱しているのが見えた。ぞくりとした。魔導の力が失われて、魔石は残らず砕け散った。だが、ティナはそこにいる。「まだ、がんばれる」と言っていた。信じたい。
 駆け寄りたい衝動をぐっと堪えて、瓦礫の塔があった方角を改めて確認する。塔は見るも無残に崩壊して、瓦礫の山と化していた。その瓦礫の山を中心に、血のように赤かった空に少しだけ青さが戻ったような気がした。

「ティナ!」

 セリスの涙声が響いて、エドガーはその方向に視線を向けた。そこには身を起こして、柔らかな笑顔を見せているティナの姿があった。脱出を導いてくれた幻獣の姿ではなく、見慣れた人間の姿で。

「ありがとう、セッツァー……」
「言ったろう? 世界最速の船だって」

 自慢そうに笑ってみせるセッツァーを尻目に、セリスが涙を流しながらティナに抱きつく。ティナも同じように涙を流しながら、セリスを抱きとめている。その様子にエドガーは安堵のため息をついた。確証があったわけではないが、それでもティナはきっとこの世界に残ることを選んでくれるだろうと信じていた。そうでなければ、あの夜交わした言葉の数々は何だったというのだろう。今度こそ間違えないと誓ったのだ。
 赤黒い雲が徐々に散っていき、空が青さを取り戻していく。太陽の光が辺りを明るく照らし出し、人々に笑顔が見えた。守りたかったものを守れたのだという実感が、じわじわと胸の奥からこみ上げてくる。
 各地の様子をゆっくり眺めていると、全てを終えた解放感からか、髪をほどきファルコンの船首で柔らかな風を感じて佇むティナの後ろ姿が見えた。そこにふらりと歩を進めていく。皆の視線が注がれた気がしたが、もうティナ以外は映らなかった。

「ティナ」
「エドガー」

 名前を呼べば、振り向いたティナもまた同じように名前を呼び返してくれる。色々と言いたいことはあったはずだが、晴れやかに微笑むティナの顔を見ると胸が高鳴って言葉が出なくなる。だが、想いはまず口に出さねば伝わらない。それを教えてくれたのは目の前の少女だ。
 息を吸い込み、吐き出そうとしたところで、頬が自然と緩んだ。

「……おかえり」
「ただいま……!」

 甲板を蹴って、ティナがエドガーの胸に飛び込んできた。それをしっかりと抱きしめて、離さないように腕に力を込めた。そのまま勢いにまかせてくるりと身体を回転させる。月明かりのようなふわふわの金の髪が宙を舞って、太陽の光に照らし出されてキラキラと光るのが綺麗だった。

「帰ってきてくれて嬉しいよ。……信じてた」
「どうしてもここに帰りたかったの。だって、まだ私には知りたいことも見たいことも沢山あるもの。エドガーと一緒に」
「ああ、俺も沢山ある。一緒に帰ろう、ティナ。そして、ずっとふたりで生きていこう」
「やだエドガー、モブリズのみんなもフィガロ城のみんなも、仲間も一緒よ?」
「もちろん。だけど、それはそれだよ」
「ふふ、冗談よ。ずっとふたりで……みんながしあわせになれるように、ね」

 ティナが確かに腕の中にいる喜びで胸がいっぱいになる。色々なことがあったが、全てはこの瞬間のためにあったのだと思えば、あの日々も無駄ではなかったのだと感じる。
 ティナの顔を手でそっと包み込んで、上を向かせる。頬を染めたティナが瞳を閉じたのに合わせて、口唇をそっと重ねた。
 陽の光に照らし出されて長く伸びたシルエットが、ふたりの行く末が長からんことを暗示しているかのようであった。

「……やれやれ、あの野郎人の目の前で何やってやがんだか」

 飛空艇の操舵をしながら、セッツァーが軽く舌打ちをする。

「若さ、じゃのう……」
「妬いてんの? 傷男」
「何に妬くってんだよ。散々遠回りしやがって、王様ってのはほんとめんどくせえ。けどまあ、あんな顔で笑われちゃな。文句も言えねえ」
「フィガロに帰ったら結婚式かな! やっとこさばあやも安心だなハッハッハ!」

 悪態をつきつつもどこか満足そうなセッツァーに、マッシュが豪快に笑い出す。ファルコン号に乗っている面々は、砂漠の若き国王とかつての魔導の少女が永遠の愛を誓い合う瞬間に図らずも立ち会うことになってしまった。
 そのことにようやく気付いた当人たちは今更恥ずかしそうに頬を染めたものの、距離を置こうとする気配はない。ティナのほっそりした指はエドガーのがっしりした腕をしっかり掴んだままだ。
 スケッチブックを携えたリルムがセッツァーのコートの陰から顔を出し、愛用の筆をびしりと立ててにかっと笑った。

「めでたしめでたしだね!」


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