ティナに自分のマントをかけてやり、手を取ってエスコートしながら城の屋上に続く階段を降りてきた王を見た神官長は、ひと目で全てを察したような顔をすると、「おやすみになりますか?」と声をかけてきた。屋上に上がったときは、またすぐに執務に戻るつもりでそのように言付けてあったので、エドガーは少し迷った。やらなければならないことはまだある。しかし、ここでティナの手を離してしまうのは惜しい。
エドガーの心を知ってか知らずか、ティナはそっとエドガーの手を離して、身を引いてみせる。
「あの、エドガーはまだ王様のお仕事があるんでしょう? 私がエドガーを探してたとき、他の大臣さんたちもそう言って探してたわ」
「あ、ああ。確かにまだ残っていることは多いのだが……」
「陛下にすぐに裁決いただかねばならないような案件はありませんよ。今までどれだけの期間、陛下不在でやってきたとお思いですか。それなのに、陛下が暗くなるまで女性をひとりでお待たせするなど、天地がひっくり返ってしまったのかと思いました」
「実際ひっくり返るほどのことが起きたじゃないか」
「そうでしたね。今それを実感致しました」
ばあやでもある神官長の言葉に、エドガーは肩をすくめて笑ってみせた。
確かに、山積みの執務や各方面との調整に手間取ったとはいえ、ティナをひとりで半日以上待たせるなど、以前のエドガーではあり得ないことだったかもしれない。そういえば、ティナと初めてこの城で会ったときも、彼女を待たせてエドガーは大臣たちとの作戦会議に臨んでいた。つまりはそれだけ、ティナと向き合うのを無意識に避けていたことになるわけだが。
王位に就いてから10年も経つというのに、9つも年下の女性と向き合うのを恐れていたとは何とも情けない話だ。否、王位に就いてから10年もの間、他人とまともに向き合った記憶はない。それが、若かったエドガーから人と向き合うことから徐々に距離を置かせるようになったのだろうか。その扉を開けてくれたのが、同じく人と向き合うことに慣れていなかったティナであり、自分とは対照的に向き合おうと努力し続けた彼女を深く愛してしまったのは皮肉なのか、それとも。
何はともあれ、ティナとはやっと心を通わせることができたのだ。ここから先は、一秒だって離れていたくはない。少なくとも、今夜だけは。
「まあ、こんな時間まで待たせることになったのは不徳の致すところだ。ティナも砂漠を横断するので疲れたろうし、部屋と風呂の用意を頼むよ」
「ティナ様のお部屋は既に用意してありますのでいつでもご案内できます。陛下もいつもどおり客間で休まれますか?」
「いや、ティナには私の部屋で一緒に休んでもらうことにするよ」
エドガーの言葉に、ティナは青い目をまんまるに見開いてエドガーの顔を見上げた。
それ以上に、神官長も驚いた顔をしている。それもそのはずで、エドガーが自身の寝室で城外の女性を休ませると言い出したのは初めてのことだった。フィガロ国内で音に聞こえた女好きの国王は、その評判に恥じずそれなりに女遊びもしていたが、それはいつも城外か、エドガーの寝室とは全く別の部屋を用意させてのことだった。
ティナと出会い、旅に出るようになってからはフィガロ城を拠点として開放していたが、エドガーは仲間達を伴って城に戻るときも客用の部屋で仲間と雑魚寝をしていたくらいで、夜の寝室に人を入れようとしなかった。城の根幹である動力部だろうと王の間だろうと、いつでもどこでも出入り自由なフィガロ城の中で、唯一その自由が許されなかったのが夜のエドガーの寝室なのだ。
王の寝室でエドガーが女性を伴って夜を過ごす、ということが何を意味するのかはいつからかまことしやかに囁かれるようになった。エドガー本人は一度もそう話したことはないし、おそらくは意識もしていなかった。だが、彼はようやく心が通じ合った女性と一夜を過ごす場として、ごくごく自然に自らの寝室を選んだ。他の場など、考えられなかった。
「陛下のお部屋ですか……? ティナ様も?」
「何かおかしなことでも?」
「……いいえ。すぐにご用意いたします。しばしお待ちを」
すっと表情を改め、恭しく頭を下げると神官長はティナにも一礼してその場を後にした。
その背中を見送って、エドガーは手にしていたワイン壺から中身を少しだけ注いで、ティナに勧めた。
「一気に飲むと回ってしまうが、気付け程度に少しだけ舐めてみるといい。温まるよ。屋上は寒かったろう。砂漠の夜は冷えるから」
「ありがとう。……ねえ、エドガー。本当に貴方のお部屋に行ってもいいの?」
注がれたワインをちびりと舐めて、エドガーのマントを少しだけ被り直したティナは困惑したような表情を向けてきた。エドガーの寝室に行ったことは何度もある。だが、暗くなってから行くのは初めてだ。そこで一緒に休むのも当然初めてだ。
そういえばそうだったな、と思い出してエドガーは苦笑しながらティナの肩をそっと抱き寄せた。
「俺と一緒に生きてほしいという願いに、君は首を縦に振ってくれたね? それはつまり……その、有り体に言えば、いずれ俺と結婚してくれるということで合っているかい」
「ええっ? あ……そっか、そういうことになるわね。うん、合ってるわ」
一瞬ティナは驚いた顔をしていたが、先程交わしたやり取りをよくよく反芻してみるとそういうことらしい、ということを理解して顔を真っ赤に染め上げた。どうやらそういう方面には実感が伴っていなかったらしい。もっとも、それはエドガーも似たようなもので自分で口にした単語に何となく気恥ずかしさを感じた。つい数日前までは、大臣の寄越したどこぞの貴族の令嬢との結婚について夜も眠れぬほど考えていたというのに。
とはいえ、この期に及んで情けないことだが、エドガーは自分の意図が正しく伝わっていたことに少しだけほっとした。愛を知ったとはいえ、まだ年若く人生経験の少ないティナがこういう色事に疎いままなのは変わらない。持って回った口説き文句にはピンとこないということがうっかりすっぽ抜けたまま、少し回りくどい言い方をしてしまった。かっこつけたかったというわけではないが、自分の素直な想いを言葉にするとこうなってしまったのだから世話はない。
「つまり君は俺の未来のお嫁さんだ。お嫁さんなら、俺の部屋で寝ても不思議ではないだろう。城の者達も言っていただろう?」
「確かに、『エドガー様のお部屋で過ごすことができる女性は、陛下が伴侶に選ぶ方のみですよ』って……」
「まあ、それは皆が勝手に言ってることではあるけどね。でも、どうやら事実になりそうだ。俺は本気で君をフィガロに迎えたいと思っている。だから、俺の全てをここで知ってもらいたい。嫌かい?」
エドガーに覗き込まれるように顔を寄せられて、ティナは真っ白な頬を赤く染めた。恥ずかしそうに微笑みながら、首を横に振る。
「ううん。エドガーのお嫁さん……うれしい。私も、お父さんやお母さんのようになれるのかしら」
「身勝手に君を蹂躙した俺を、君は愛していると言って受け入れてくれた。君ならなれるさ、必ず。まあ、砂漠の城暮らしは最初は窮屈だろうけどね。でも、心配することはない」
「そうね。エドガーが居てくれれば、私は安心だもの。きっと、幻獣界に来たお母さんもそうだったのね」
にこにこと嬉しそうに形見のペンダントを指先で弄るティナに、エドガーも顔を綻ばせた。ティナの頬に手をやり、何度目かもわからない口づけを贈る。その度にティナは頬を染め、はにかんだかわいらしい笑顔をエドガーに見せてくれる。その瞳からは、エドガーに対する情愛が溢れているのが感じられて、こんなにも色鮮やかな世界がこの世にあったのかと心が躍った。
不安なことはまだある。やらなければならないことも沢山ある。それでも、ティナと一緒なら何でも乗り越えられそうな気がしていた。
「陛下、お部屋の用意が整いましたよ」
しあわせを噛み締めているところで、神官長がエヘンと咳払いをしながら入ってきた。気付いたティナが恥ずかしそうにぱっと身体を離してしまうのが名残惜しい。だが、ティナのこうした初々しい反応もかわいらしく感じられるのだから、いよいよ重症だなと人知れず苦笑しながらエドガーは神官長の方に視線を向けた。
「ありがとう、ばあや」
「大臣に聞きましたが、資材の準備には最短でも2日ほどかかる見通しのようです。一応飛空艇の皆様にはその旨の伝令を送っておきました」
「随分そつがないね」
「それはもう、これからケフカとの決戦に赴く陛下の手をあまり煩わせるわけにもいきませんから」
「助かるよ。皆にはもう休んでいいと伝えてくれ。じゃあティナ、案内するよ。おいで」
「おやすみなさい、神官長さん」
「はい、良い夜を」
ティナの手を取り、寝室の方へと向かうエドガーの背中を見送りながら、神官長は目を細めた。その表情は代々フィガロ国王に仕える神官長や、お目付け役のそれではなく、幼い頃から彼の成長をそばで見守ってきたばあやとしてのものに他ならなかった。
「……即位してから10年、エドガーのあんな穏やかな顔は初めて見ました。あの子は、やっと自分だけの砂漠の泉を見つけたのですね。そのしあわせを守ることこそ我々の務め。そうですよね、"陛下"」
神官長が口の中で呟いた言葉は誰の耳に届くこともなく、その表情をエドガーが知ることはなかった。それでいいと、若いふたりの後ろ姿が見えなくなるまで、神官長はその場を動かずに見つめていた。
エドガーの心を知ってか知らずか、ティナはそっとエドガーの手を離して、身を引いてみせる。
「あの、エドガーはまだ王様のお仕事があるんでしょう? 私がエドガーを探してたとき、他の大臣さんたちもそう言って探してたわ」
「あ、ああ。確かにまだ残っていることは多いのだが……」
「陛下にすぐに裁決いただかねばならないような案件はありませんよ。今までどれだけの期間、陛下不在でやってきたとお思いですか。それなのに、陛下が暗くなるまで女性をひとりでお待たせするなど、天地がひっくり返ってしまったのかと思いました」
「実際ひっくり返るほどのことが起きたじゃないか」
「そうでしたね。今それを実感致しました」
ばあやでもある神官長の言葉に、エドガーは肩をすくめて笑ってみせた。
確かに、山積みの執務や各方面との調整に手間取ったとはいえ、ティナをひとりで半日以上待たせるなど、以前のエドガーではあり得ないことだったかもしれない。そういえば、ティナと初めてこの城で会ったときも、彼女を待たせてエドガーは大臣たちとの作戦会議に臨んでいた。つまりはそれだけ、ティナと向き合うのを無意識に避けていたことになるわけだが。
王位に就いてから10年も経つというのに、9つも年下の女性と向き合うのを恐れていたとは何とも情けない話だ。否、王位に就いてから10年もの間、他人とまともに向き合った記憶はない。それが、若かったエドガーから人と向き合うことから徐々に距離を置かせるようになったのだろうか。その扉を開けてくれたのが、同じく人と向き合うことに慣れていなかったティナであり、自分とは対照的に向き合おうと努力し続けた彼女を深く愛してしまったのは皮肉なのか、それとも。
何はともあれ、ティナとはやっと心を通わせることができたのだ。ここから先は、一秒だって離れていたくはない。少なくとも、今夜だけは。
「まあ、こんな時間まで待たせることになったのは不徳の致すところだ。ティナも砂漠を横断するので疲れたろうし、部屋と風呂の用意を頼むよ」
「ティナ様のお部屋は既に用意してありますのでいつでもご案内できます。陛下もいつもどおり客間で休まれますか?」
「いや、ティナには私の部屋で一緒に休んでもらうことにするよ」
エドガーの言葉に、ティナは青い目をまんまるに見開いてエドガーの顔を見上げた。
それ以上に、神官長も驚いた顔をしている。それもそのはずで、エドガーが自身の寝室で城外の女性を休ませると言い出したのは初めてのことだった。フィガロ国内で音に聞こえた女好きの国王は、その評判に恥じずそれなりに女遊びもしていたが、それはいつも城外か、エドガーの寝室とは全く別の部屋を用意させてのことだった。
ティナと出会い、旅に出るようになってからはフィガロ城を拠点として開放していたが、エドガーは仲間達を伴って城に戻るときも客用の部屋で仲間と雑魚寝をしていたくらいで、夜の寝室に人を入れようとしなかった。城の根幹である動力部だろうと王の間だろうと、いつでもどこでも出入り自由なフィガロ城の中で、唯一その自由が許されなかったのが夜のエドガーの寝室なのだ。
王の寝室でエドガーが女性を伴って夜を過ごす、ということが何を意味するのかはいつからかまことしやかに囁かれるようになった。エドガー本人は一度もそう話したことはないし、おそらくは意識もしていなかった。だが、彼はようやく心が通じ合った女性と一夜を過ごす場として、ごくごく自然に自らの寝室を選んだ。他の場など、考えられなかった。
「陛下のお部屋ですか……? ティナ様も?」
「何かおかしなことでも?」
「……いいえ。すぐにご用意いたします。しばしお待ちを」
すっと表情を改め、恭しく頭を下げると神官長はティナにも一礼してその場を後にした。
その背中を見送って、エドガーは手にしていたワイン壺から中身を少しだけ注いで、ティナに勧めた。
「一気に飲むと回ってしまうが、気付け程度に少しだけ舐めてみるといい。温まるよ。屋上は寒かったろう。砂漠の夜は冷えるから」
「ありがとう。……ねえ、エドガー。本当に貴方のお部屋に行ってもいいの?」
注がれたワインをちびりと舐めて、エドガーのマントを少しだけ被り直したティナは困惑したような表情を向けてきた。エドガーの寝室に行ったことは何度もある。だが、暗くなってから行くのは初めてだ。そこで一緒に休むのも当然初めてだ。
そういえばそうだったな、と思い出してエドガーは苦笑しながらティナの肩をそっと抱き寄せた。
「俺と一緒に生きてほしいという願いに、君は首を縦に振ってくれたね? それはつまり……その、有り体に言えば、いずれ俺と結婚してくれるということで合っているかい」
「ええっ? あ……そっか、そういうことになるわね。うん、合ってるわ」
一瞬ティナは驚いた顔をしていたが、先程交わしたやり取りをよくよく反芻してみるとそういうことらしい、ということを理解して顔を真っ赤に染め上げた。どうやらそういう方面には実感が伴っていなかったらしい。もっとも、それはエドガーも似たようなもので自分で口にした単語に何となく気恥ずかしさを感じた。つい数日前までは、大臣の寄越したどこぞの貴族の令嬢との結婚について夜も眠れぬほど考えていたというのに。
とはいえ、この期に及んで情けないことだが、エドガーは自分の意図が正しく伝わっていたことに少しだけほっとした。愛を知ったとはいえ、まだ年若く人生経験の少ないティナがこういう色事に疎いままなのは変わらない。持って回った口説き文句にはピンとこないということがうっかりすっぽ抜けたまま、少し回りくどい言い方をしてしまった。かっこつけたかったというわけではないが、自分の素直な想いを言葉にするとこうなってしまったのだから世話はない。
「つまり君は俺の未来のお嫁さんだ。お嫁さんなら、俺の部屋で寝ても不思議ではないだろう。城の者達も言っていただろう?」
「確かに、『エドガー様のお部屋で過ごすことができる女性は、陛下が伴侶に選ぶ方のみですよ』って……」
「まあ、それは皆が勝手に言ってることではあるけどね。でも、どうやら事実になりそうだ。俺は本気で君をフィガロに迎えたいと思っている。だから、俺の全てをここで知ってもらいたい。嫌かい?」
エドガーに覗き込まれるように顔を寄せられて、ティナは真っ白な頬を赤く染めた。恥ずかしそうに微笑みながら、首を横に振る。
「ううん。エドガーのお嫁さん……うれしい。私も、お父さんやお母さんのようになれるのかしら」
「身勝手に君を蹂躙した俺を、君は愛していると言って受け入れてくれた。君ならなれるさ、必ず。まあ、砂漠の城暮らしは最初は窮屈だろうけどね。でも、心配することはない」
「そうね。エドガーが居てくれれば、私は安心だもの。きっと、幻獣界に来たお母さんもそうだったのね」
にこにこと嬉しそうに形見のペンダントを指先で弄るティナに、エドガーも顔を綻ばせた。ティナの頬に手をやり、何度目かもわからない口づけを贈る。その度にティナは頬を染め、はにかんだかわいらしい笑顔をエドガーに見せてくれる。その瞳からは、エドガーに対する情愛が溢れているのが感じられて、こんなにも色鮮やかな世界がこの世にあったのかと心が躍った。
不安なことはまだある。やらなければならないことも沢山ある。それでも、ティナと一緒なら何でも乗り越えられそうな気がしていた。
「陛下、お部屋の用意が整いましたよ」
しあわせを噛み締めているところで、神官長がエヘンと咳払いをしながら入ってきた。気付いたティナが恥ずかしそうにぱっと身体を離してしまうのが名残惜しい。だが、ティナのこうした初々しい反応もかわいらしく感じられるのだから、いよいよ重症だなと人知れず苦笑しながらエドガーは神官長の方に視線を向けた。
「ありがとう、ばあや」
「大臣に聞きましたが、資材の準備には最短でも2日ほどかかる見通しのようです。一応飛空艇の皆様にはその旨の伝令を送っておきました」
「随分そつがないね」
「それはもう、これからケフカとの決戦に赴く陛下の手をあまり煩わせるわけにもいきませんから」
「助かるよ。皆にはもう休んでいいと伝えてくれ。じゃあティナ、案内するよ。おいで」
「おやすみなさい、神官長さん」
「はい、良い夜を」
ティナの手を取り、寝室の方へと向かうエドガーの背中を見送りながら、神官長は目を細めた。その表情は代々フィガロ国王に仕える神官長や、お目付け役のそれではなく、幼い頃から彼の成長をそばで見守ってきたばあやとしてのものに他ならなかった。
「……即位してから10年、エドガーのあんな穏やかな顔は初めて見ました。あの子は、やっと自分だけの砂漠の泉を見つけたのですね。そのしあわせを守ることこそ我々の務め。そうですよね、"陛下"」
神官長が口の中で呟いた言葉は誰の耳に届くこともなく、その表情をエドガーが知ることはなかった。それでいいと、若いふたりの後ろ姿が見えなくなるまで、神官長はその場を動かずに見つめていた。