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2019/08/23 12:08
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 フィガロ城の屋上で、月明かりに照らされた砂漠を何となしに眺めるのが好きだった。ここでフィガロの王として生きることを選んだ少年の頃を思い出す。自分の意思で選んだ道とはいえ、王としての重責に押しつぶされそうになったことがなかったとは言わない。そういうとき、エドガーは決まってここに来た。昼間とは違う静寂に包まれた黄金の大海原を見ていると、自分が道を選んだときの気持ちや、何も言わずに結果を受け入れたマッシュの表情が脳裏に浮かんでは、重責だ何だといった悩みを吹き飛ばし、砂の中に沈めてくれる。
 事情をよく知っている長い付き合いの側近たちは、エドガーが屋上に上がるときはそれを誰にも知らせない。エドガーがそうしてくれと命じたわけではないが、若い国王がひとりになれる唯一の時間を大切にしてくれるのはありがたい。
 傍らにあるワインを一口、口に含む。世界が破壊し尽くされても、サウスフィガロでは今年も名産品のワインが造られ、城に献上された。フィガロの民が本当に逞しく生きていることが否応なしに感じられる出来だった。
 本当に、自分は恵まれているなと感じる。だからこそ、その恵みをもたらしてくれる民と、彼らの暮らす国を守りたい。
 砂漠の冷たい夜風が、エドガーの少し乱れた前髪を揺らす。それを除けることもせず、エドガーは月を見上げた。月の光は、ティナの美しい髪色を想起させる。フィガロ城にティナと共に辿り着いてから、ろくに顔も合わせられていない。資材の調達に週単位で時間がかかることが判明して、各方面との調整に追われているうちにとっぷりと日が暮れてしまった。ティナには他の仲間達と同様、城の中を開放し失礼のないようにと家来たちに通達を出したっきりだ。今頃どうしているのだろう。同じ城の中にいるはずなのに、どこにいるのかすらわからないとは笑えてくる。
 ワインをもう一杯注いで、くいっと飲み干した。一番告げたかったことはモブリズで告げたとはいえ、ティナと話したいことは沢山ある。どうにかその時間を捻出せねばなるまいと考えてはいるものの、目の前に積まれた書類の山を見ると、そこから逃れようと思えないのは悲しい性分だなと思う。
 ここに来たのも、ほんの息抜き程度のつもりだ。あと一杯飲んだら執務室に戻らねばならない。そう思ってワイン壺に手を伸ばしたところで足音が聞こえた。足音は階段を登って、エドガーのいる屋上にどんどん近付いてくる。世界が崩壊する前、雨の夜によく聞いていた足音。

「エドガー、ここにいたの……?」

 背後から声をかけられ、エドガーは声の方に向き直った。目の前には、何よりも愛おしい少女が柔らかな笑みを浮かべながら立っていた。元より美しい少女であるが、月明かりに照らされるとまるで内側から仄かに光が滲み出ているようで、より際立つ。エドガーは目を細めた。

「よくここがわかったね」
「誰も教えてくれなかったんだけど、何となく思い出したの。私が初めてこのお城に来て、ケフカが攻めてくる前の夜に、エドガーがここにいたのを見たことがあったから。それに、旅の間もエドガーはよく月を見てたもの」
「おやおや、そんなに見られていたとは驚きだな」
「仲間のことだもの。何だって知りたかったの。……特に、エドガーのことは」

 ティナの言葉に、エドガーは不覚にも一瞬言葉を失った。その言葉は予想もしてなかった。だが、ティナに興味を持ってもらえていたのか、と思うと顔が緩みそうになってくる。
 月明かりに照らされたティナの金の髪がふわりとなびいて、エドガーとティナの間の距離がほんの数歩分だけ縮む。

「……エドガー。モブリズで言ってた、話したいことって、なあに?」

 かわいらしく小首を傾げられて、エドガーはふっと鼻の先でため息をついた。まったく、彼女には敵わない。モブリズでのあのやり取りはやはり夢だったのだろうか。確証が持てない。
 なら、今ここではっきりさせるしかあるまい。
 こうして向き合って話をしたのはいつのことだったか記憶にはない。だから、知らなかった。向き合って言葉を交わすだけで、こんなにも気持ちが溢れそうになるなんて。

「そうだな。何から話したものかずっと考えていたが……。まずは、謝らせてほしい」
「謝る?」
「そう。……俺はね、ティナ。君の一番大事なものを、君の意思を無視して奪ってしまった。自分の欲のためだけにね。それを謝らなければならない」

 どういうことだろう、と不思議そうな顔をしているティナの目の前で、エドガーは膝をついた。

「……雨が怖いと震える君を、俺は自分の欲のままに何度も抱いた。君は、男女のそうした行為のことも、情のことも、何も知らなかったというのに。一方的にあれこれとされて怖かっただろう。……本当に、すまない」
「そんな違う、違うのよ。貴方が謝ることは何もないのよ。だって私……貴方に抱かれるのが、嬉しかったわ」
「わかっている。けどそれは誤解だと思う。たまたま恐怖心が紛れたのを、君はいいことだと思いこんでしまっただけなんだよ」
「ちがうわ! それなら、他の人でもいいはずでしょう? でも、私はエドガー以外の人となんて、考えもしなかったわ! 私、一度も嫌だって言わなかったでしょう? 初めて貴方に抱かれたあの夜でさえも!」
「……それでも、俺が君の意思を無視したことに変わりはない。女性に、一番やってはいけないことをやったんだ。本来なら、君がやってくるのも拒むべきだったのに、俺は……」

 こんなに声を絞り出したことが、これまでの人生であっただろうか。ティナの顔をまっすぐに見ることができない。どう責められようと、やったことは消せない。ティナのアメジストのような瞳に、今の自分はどう映っているのだろう。
 ふわりと空気が動いて、ティナのほっそりした指がエドガーの髪をそっと撫でるのを感じた。母親が子供をあやすかのような、どこか懐かしい手つきに目頭が熱を帯びる。

「……なら、私の意思を見せればいいのね? それなら、エドガーが私の意思を無視したことにはならない?」
「君の意思?」
「私ね、ずっと考えていたの。どうしてエドガーのそばにいると安心できるのかなって。どうしてエドガーに抱かれるのがこんなに気持ちいいのか。……気付いたらエドガーのことばかり考えてたのよ」
「……」

 ティナの言葉の意図が、上手く汲み取れない。やけに霞がかかったように感じるのは、ワインの酔いが今頃回ってきたのか、それとも――。

「答えはね、あのときフンババの攻撃から庇ってくれた貴方がくれたわ。ううん、本当はずっと目の前にあったの。気付くのが遅くなってごめんなさい」

 髪に触れていたティナの指が、徐々に降りてきてエドガーの頬に触れる。つられて顔を上げると、頬を染め大きなアメジストの瞳にオアシスのごとく涙を溜め、それでも優しい笑みをたたえたティナと視線が交錯した。

「貴方を愛してるわ、エドガー。だから、貴方が迷惑でなければ、私を……」

 そこまで耳に届いたところで、エドガーは思わずティナを腕の中に抱きしめた。それ以上は、女性に言わせるべきではないと直感した。

「……ごめんよ、ティナ。君の意思はわかった。それ以上は、言わなくていい」

 ティナの細身ながら柔らかな感触と、ふわふわの金の髪から香る甘い匂いに頭がくらくらしてくる。雨の夜に、幾度となく嗅いだ安物の石鹸の香りとは違う香りなのに、不思議と同じように甘い。
 一方、ティナはエドガーの胸に顔を埋めながら、ぽつりと呟いた。

「……貴方はいつもそうね。そうやって遮ってしまうの。そして、心の中で泣いているのよ。抱かれるとき、涙は流してなくても貴方が泣いているのをいつも感じてたわ。あれは、私に言いたいことを伝えることができなくて、それが悲しかったのよね。私が、愛を知らなかったから」
「どうしてそれを……」

 ティナの言葉に驚いて、エドガーは思わず腕の力を緩めた。ティナがこちらを見上げて、少しだけいたずらっぽく笑ってみせるのがかわいらしかった。

「言ったでしょう? エドガーのことは何でも知りたかった、ずっと貴方のことを考えていたって」

 エドガーの脳裏に、ティナを初めて出会ったときのことが鮮やかに蘇る。操りの輪が外れたばかりで、感情に乏しい人形のような顔をしているくせに、瞳には恐怖心と戸惑いばかりをはっきりと宿していた。その少女は、恐怖心と戸惑いばかりだった瞳でまっすぐに物事を見つめ、徐々にその色を消していき、たくさんの思考と懊悩の果てにひとつの答えに辿り着いて、今こうして自分に一生懸命愛を語っている。
 考えもしなかった。ティナがこれほどに自分を想っていたなど。それこそは、初めてティナに会ったあの日からエドガーが無意識のうちに最も欲していたものだった。彼女を愛しながら、自分の想いにも彼女と向き合うことにも背を向けていた己を深く恥じた。
 言葉にできないほどに様々な感情がないまぜになって、エドガーはもう一度ティナを胸にしっかりと抱き寄せた。

「参ったな。俺は本当に情けない王だった。君のことを抱きながら何も見えていなかったんだな。それでも……ティナを心の底から愛してる。それだけは真実だ。だから、今度こそちゃんと君が欲しい。そして、死ぬまでずっと、俺と一緒に生きてほしい。それをずっと、本当にずっと、君に伝えたかった。できないのが、苦しかった」

 ティナが腕の中でふるふると首を横に振るのを感じた。

「……違うのよ。エドガーは私をちゃんと見てくれてたから、私が余計に混乱しないように気遣ってくれてたんでしょう。エドガーが困っているのはわかっていたのに、私はそれでも貴方と一緒にいたくて、何度も部屋に行ってしまったわ。私のわがままで沢山困らせてしまってごめんなさい。それでも、もう貴方がいないのは嫌。エドガーと一緒に生きたい。ずっと」

 見上げてきたティナの瞳からは涙が溢れていて、エドガーはその涙をそっと指先で拭った。ぷくりとした口唇が月明かりに照らされて艷やかに浮かび上がる。誘われるように、自身のそれをゆっくりと重ねた。砂漠の夜風で少し冷たくなっていた口唇が、みるみるうちに熱くなってくる。胸の内が温かな感情で満たされて、しあわせだと素直に感じた。
 愛する相手とのキスがこれほどに満たされ、心震えるものだということは初めて知った。砂上の夢にただ酔いしれているだけなのかもしれないと一瞬思ったが、全ては現実に起こっていることだと、抱きしめたティナの温もりが教えてくれている。名前を呼べば、彼女も呼び返してくれる。
 月明かりに照らされたフィガロ城の屋上で、エドガーはかつてのように再び自らの道を選び取った。生涯かけて、今腕の中にいる一人の女性を愛し抜くという道を。そして、遠からず彼女を迎えることになるであろうフィガロの未来のためにも戦って勝つ道を。

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