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2019/07/08 12:29
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「クッ……、やはり一人では厳しいな」

 フンババの猛攻を辛うじて躱して、物陰に一時身を隠すことに成功したエドガーは息を整えながら傷に回復魔法を施した。元々戦闘をするつもりで来ていなかったせいもあって、ろくな装備もない。得意の機械を振るおうにも、エドガー一人では猛攻を躱すのが精一杯で、構えることすらままならない。状況は最悪に近く、このまま魔力が尽きてしまえば逃げ回る体力も失われてしまう。せめて飛空艇の方に誘導ができれば仲間達の助けを借りることができるのに、フンババはどういうわけか村から離れようとしない。

――冗談じゃないぞ、まったく。

 深く息を吐いた。ようやくここまで来たのだ。今更こんなところで、ティナと言葉を交わすこともなく死ぬなど大臣の説教以上にごめんこうむる。ティナは、「話したいことがある」と言った。彼女の空色の瞳を覗き込んだときの、一瞬何かが通じ合ったような感覚が錯覚でなければいいと思う。否、この際錯覚でもいい。恨み言でも何でも、彼女の言葉なら全て受け止めよう。そのために、ここに来たのだから。
 手のひらには、先程不意に抱き寄せたティナの温もりがまだ残っている気がした。そんなことをするつもりはなかったのに、触れたいという衝動が抑えられなかった。ティナは驚いた顔をしていたが、内心ではエドガーも自分の行動に同じぐらい驚いていた。それでも許してくれ、と言うのはあまりにも虫が良すぎるだろうか。
 フンババの唸り声が聞こえる。エドガーは愛用の槍を握りしめた。
 古の魔物が出たという話は聞いていたはずなのに、万一に備えての戦闘準備を怠ったのは致命的なミスだ。せめて飛空艇に残っている面々に危険を知らせる手段くらいは用意しておくべきだった。エドガーは舌打ちをした。
 戦おうにも、一人だけではまともに武器も振るえない。愛する女性に、想いを告げる決意すらも一人ではできなかった。まったく笑えてくる。いつから自分は、一人で何もかも抱えてしまうようになったのだろう。一人でできると思っていなかったか。そうするつもりはなかったはずなのに、自分から手放して、自由に想いを交わし合う人達を内心羨ましいと思いながら、諦めていなかったか。こんなところで本当に必要なものに気付くとは、何を見てきたのだろうか。

――気付いたのなら、今後に活かせばいいさ。

 その「今後」を作るために、様々なものを投げ売ってここに来たのだから。

*

 子供たちを集めて落ち着かせながら、ティナは外の方向をずっと見つめていた。どうしても胸騒ぎが治まらない。エドガーを心配する子供たちに「大丈夫よ、彼は強いから」と笑いかけながらもすぐに笑顔は消えてしまう。エドガーの戦闘スタイルを考えると、一人は何かと不利である。彼の扱う機械は非常に強力なパワーを発揮するが、機動性に欠けるという欠点がある。エドガー自身も凄腕の武人ではあるものの、戦闘に特化した修練を積んできたわけではないため、機械を携えたままでは動きが鈍る。実際、それが仇になる場面に何度か出くわした。
 だからといって、今の自分に何ができるというのだろう。力さえあれば、エドガーを助けることができるのに。
 痛いほどに拳を握りしめた。エドガーには話したいことがいっぱいある。顔を見た瞬間、とてもほっとしたこと。苦しい顔をせずに笑いかけてくれて、嬉しかったこと。抱き寄せられて、その先ももっと感じたかったこと。
 頭の中で想いがぐるぐると渦巻いて、身体が熱を持ってくる。弾けてしまいそうだ。

「……ナ、ティナ!」

 ディーンの声が聞こえて、カタリーナに手を握られてはっと我に返った。

「そんなに握りしめると怪我をしてしまうわ」
「ご、ごめんなさい。考え事をしてて……」

 力を緩めると、手に血の通う感触がした。

「ティナ、行っていいのよ。あの人が心配なんでしょう? ずっと会いたかった人なんでしょ?」
「でも、私……」
「大丈夫だよ。カタリーナと子供たちは俺が守る。剣が握れなくても、ティナは俺たちをずっと守ってくれただろう。戦えなくても、力になれることはあるかもしれない」

 そう言ってのけるディーンの瞳には、これまでにはなかった確かな決意が宿っていて、何の根拠もなかったが「大丈夫だ」と思えた。戦えない自分が今出ても、足手まといになるかもしれない。それでも、何もできずにここでいるよりはずっといいと思えた。エドガーは、右も左も分からない自分をフィガロから連れ出して、次の道を示してくれた。悪夢を見て震えていた雨の夜にはいつもそばにいて、冷たくなる心を抱いて温めてくれたのだ。そのことに対して、ティナはエドガーに何も伝えられていない。きっと、エドガーも。
 ディーンとカタリーナに礼を告げて、ティナはドアに向かって歩き始めた。いつだってドアを開けてくれたのはエドガーだ。今度は、自分で開けてみせる。

*

 扉を開けたティナの目に飛び込んできたのは、満身創痍のエドガーがフンババと対峙している光景だった。エドガーは息も上がっていて、いつも小奇麗に整えられている髪も服も土埃にまみれて乱れており、ティナは自分の不安が的中したことをひと目で悟った。
 出てきたはいいものの、剣は持てない、魔法も使えない。こんなときに使えなくて、何のための力なのだろう。目の前で、満身創痍になりながら巨大な敵に立ち向かっている仲間がいるというのに、何もできないのがもどかしい。せめて、フンババの気をそらせればエドガーが活路を開くこともできるかもしれない。
 そう考えたティナが、自分の行動を後悔するまでにそう時間はかからなかった。

「エドガー!」
「ティナ……!? くっ……!」

 一瞬の出来事のはずだったのに、一枚ずつの絵を見ているかのような、不思議な時間だった。
 ティナの声に反応したエドガーとフンババが、ティナの方を見る。フンババは狙っていた獲物を見つけたと言わんばかりにティナに向かって大きく息を吸い込む。弾かれたようにエドガーがティナの方へ走り出して、彼女の身体をかばうように抱きかかえて地面に転がるのと、フンババが空気の塊を吐き出したのはほぼ同時、のはずだった。衝撃に身体が痛む。

「え、エドガー……」
「ぐ……、ティナ、逃げ……」

 息も絶え絶えになりながらそれだけ告げると、エドガーはティナを抱きしめてそのまま目を閉じて、呼吸を整えようとしたが、上手くいかない。
 心臓が嫌な音を立てて、身体中の血が沸騰する気がした。それなのに、体温は逆に冷えていくような心地がして、思考が白く塗りつぶされていく。
 エドガーに会いたいと思っていた。話したいことがたくさんあった。このままではそれができなくなってしまう。エドガーの腕に抱かれてその温かさを感じることも、笑顔にほっとすることも、なくなってしまう。
 ティナの後ろには、子供たちが集まっている小屋がある。エドガーが動けない今、子供たちを守れるのは自分しかいない。子供たちの不安そうな顔が浮かぶ。お腹の大きなカタリーナ、その隣で彼女を守るように寄り添うディーン。全身が傷つこうとも尚、ティナには傷一つつけまいとティナを抱きかかえる腕に力を込めるエドガー。
 状況は最悪のはずなのに、白く塗りつぶされた思考が、エドガーの腕の力強さに少しずつ色を取り戻していく。

「ティナ、よく聞くんだ……。村の向こう側に飛空艇が停泊している。そこには、仲間がみんな乗っている。君だけでも何とか逃してみせるから、君は飛空艇に向かって、増援を呼ぶんだ」
「でも、エドガーは?」
「囮役ぐらいはこなしてみせるさ」
「その身体で……!」
「時間がない。俺は、君にだけは何としても生きていてほしい。俺には君が必要なんだ」

 ぎゅ、と腕に更に力が込められた。エドガーの震える吐息が、耳元をくすぐる。

「……君を、愛しているから」

 エドガーの言葉は一滴の雫となって、ティナの心の中に落ちた。水面に波紋が広がるように、言葉がじわじわと広がっていき、呼応するように温かな感情が湧き起こる。エドガーの腕の力が緩んで、温かな身体が離れていく。呼吸もろくに整わないのに、ティナににこりと微笑みかけて再びエドガーはフンババに鋭い視線を向けた。
 ああ、やっとわかった。動かない身体で今も懸命に自分を守ろうとしてくれているエドガーの姿は、剣が持てなくても何とか彼の助けになりたいと出てきた自分と同じだ。彼は、出会ったときからいつだってティナに道を示して導いてくれた。今もそうだ。彼の言葉は、ティナに答えをくれた。愛することを知らないのも、わからないのも、本当はずっとそこにあったはずなのに、自分が気付いてなかっただけなのだ。やっと見つけた。
 不思議と勇気が湧いてくる。エドガーは自分を必要だと言ってくれた。モブリズの子供たちも、自分を必要としてくれた。それはティナにとっても同じだ。失いたくない。いつか生まれてくるディーンとカタリーナの子のためにも、今ここで倒れるわけにはいかない。
 それに、エドガーにはまだ何も話せていない。話せないまま失うのは、もう嫌だ。

 ――エドガーがいないのは、もう嫌。私が、守る。守ってみせる。

「……ありがとう、エドガー」
「ティナ?」
「私も、貴方を愛してるわ」

 そう言って微笑み立ち上がったティナの身体が白い光に包まれた。

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