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2019/07/06 10:32
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 カタリーナに手を引かれてやってきた村のはずれで、ティナはどうすればいいのだろうと考えていた。ここでカタリーナと過ごすようになってから、既に丸一日が経とうとしている。みんな心配しているだろう。

「ディーンが赤ちゃんのことを喜んでくれないなら、もう一緒にいる必要ないもの」

 と彼女は言っていたが、それが本心でないだろうことぐらいはティナにもわかった。カタリーナは気丈なことを言いながら不安そうな表情をしていたし、その表情を晴らすことができるのはたったひとりだけというのもわかっている。だが、ティナに何ができるのだろう。すっかり大きくなったカタリーナのお腹を見ていると、ティナも不安を感じてくる。それと同時に、心の底から何か不思議な感情が湧いてくるのも感じる。子供たちに囲まれているときに感じた穏やかで温かなものとはまた別のものだが、それをどう表現していいのかがわからない。

 ――一体、どうしたのかしら私……。

 窓の外では、子供たちが元気に遊ぶ声が聞こえる。それと同時に、カタリーナを呼ぶ声も。どうしてこうもわからないことばかりで、誰も何も言おうとしないのだろう。子供たちには「きちんとお話をしましょう」と言っているのに。

 ――私は、エドガーとお話をしたかしら。

 わからないからと、エドガーが苦しそうにしているのを知っていながら、それを話してほしいとは言わなかった。色んな話をしてきたはずだけど、肝心なところでエドガーからの壁を感じて、いつも引き下がってしまっていた。エドガーが苦しいのは私も苦しいのだと、声にしたことはあっただろうか。

「ティナ?」
「ううん、何でもない。でもカタリーナ、本当にそろそろ戻らないと、みんな心配してるわ」
「わかってるけど……」
「ちゃんとお話すれば、ディーンもきっと……」

 言い終わる前に扉が開けられて、光が差し込んだ。
 ティナの視界に飛び込んできたのは、意外な人物だった。会いたいと思っていたのに、ずっと会えずにいた人。

「え……、エドガー?」
「……やっと会えた」

 エドガーは嬉しそうに微笑んで、ティナの元にゆっくりと歩み寄ってきた。
 話したいことはいっぱいあった、それなのに、いざエドガーを目の前にすると何も言えなくなる。それでも身体が彼を覚えている。あの温かく広い身体を。思わず飛び出しそうになったところで、エドガーがちょっと待ってと言わんばかりに軽く手を挙げた。

「貴女がカタリーナかな? なるほど、この荒れ果てた大地に咲いた一輪の花のような美しさだ。心が潤うね」
「え? は、はあ」
「……変わらないのね、エドガー」

 記憶にあるのとほぼ寸分違わぬ物腰で、挨拶代わりにカタリーナを口説くエドガーの様子に、ティナはすっかり気が抜けてしまった。どうしてだろう、やはりエドガーの顔を見るととてもほっとする。モブリズの村に辿り着いてから、ずっと穏やかに過ごしていたはずなのに、エドガーの顔を見た途端に何かが解けていくような心地がした。

「あのねエドガー、カタリーナに子供ができたのよ」

 もっと他に積もる話もあったはずなのに、真っ先に口をついて出たのはカタリーナのことだった。そのことをエドガーに言ってどうしようというのだろう。またエドガーを困らせてしまう。そう思っていたが、エドガーは優しく頷いてティナに微笑みかけた。
 笑ってくれたという事実に、ティナの曇りかけた胸の内がふわりと軽くなる。エドガーの笑顔が、うれしい。

「そのようだね。君の恋人が血相を変えて探している。そうだろう?」
「え……」
「カタリーナ……!」

 エドガーが手招きをすると、弾かれたようにディーンが駆け込んできた。カタリーナの顔が、驚きと喜びに彩られていくのが見て取れる。

「ごめんよ、カタリーナ……。俺……」
「ううん、私こそ……」

 手を取り合うふたりの姿に、かつてサマサの村で見た光景が重なって見えた。苦しそうな表情をしていたロックとセリス。そして、ディーンとカタリーナ。そして、雨の夜に部屋を訪ねたときのエドガー。みんな、愛する者のために苦しい顔をしていた。エドガーも、そうだったのだろうか。……愛する者のために?
 エドガーの顔を見上げると、彼も柔らかな紺碧の瞳をティナに向けてくれた。胸の中が温かくなって、目の奥が急に熱を持つ感覚に襲われて、今なら何かを掴めそうな気がした。

「あ、あの、エドガー」
「……うん?」
「――大変だ! フンババがこっちに来る!!」
「!」

 刹那、小屋の中に緊張感が走る。ティナが何かを言う前に、エドガーの表情が変わり、愛用の機械を抱え直すのが見えた。ティナも立てかけてあった剣を取ろうとしたが、やはり重くて持てなかった。その様子を見たエドガーが、「君はここにいるんだ」と低い声でティナを制する。ティナには頷くことしかできなかった。

「お願い、この村を守って。私には……力が……」
「わかっている。君は子供たちを頼むよ」

 次の瞬間、エドガーの大きな手がティナの細い腰を抱き寄せた。急に視界いっぱいにエドガーの胸と温かさが全身に広がって、ティナは自分が抱き寄せられたのだと一瞬理解できなかった。

「――ティナ。これが終わったら聞いてほしいことがある。後でゆっくり時間をいただけないかな」
「エドガー……。私も、エドガーに話したいことがあるの。聞いてくれる?」
「……もちろん。どんなことでも聞こう」

 離れていく体温が名残惜しい。武器を取り、外に向かうエドガーの背中を見送りながら、ティナは嫌な汗が流れるのを感じた。エドガーの言葉が引っかかった。後でゆっくり話そうと約束をしていたのに、できなかった記憶が蘇る。

「エドガー……」

 大丈夫だ、エドガーの力は知っている。一緒に旅をしていた頃より、更に鍛えられたらしいことは顔つきだけでもわかる。加えて、彼は頭も良い。きっと負けたりはしない。だが、あの怪物はセリスとマッシュが二人がかりでも追い返すのがやっとだった。そのことがじわじわと胸の内を侵食していく。
 どうして自分には、肝心なところで何もできないのだろう。力さえあれば、こんな思いをせずにすんだのかもしれないのに。
 自分に流れているはずの魔導の力を、心底欲したのはこのときがきっと初めてだった。

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