「入るぞ、エドガー」
ノックもそこそこに部屋の扉を開け放たれて、エドガーはため息をついた。眺めていた書類を封筒の中にしまい込む。
「どうして私の周りには、ノックもろくにできないような人間ばかり集まるのかね」
「知るか。補給部隊が戻るまで暇だからな。ちょっと付き合え」
「……やれやれ、少し休むと言ったはずなんだが」
「だから、よーく休めるように差し入れも持ってきてやったぞ」
セッツァーの片手にはワインの瓶が握られている。有無を言わせない空気を感じて、エドガーはもう一度ため息をついた。だが、酒の力を借りるのも悪くはない。
「いいだろう。1ゲームなら付き合ってやろう」
「そうこなくちゃな。敵前逃亡はナシだぜ王様」
エドガーがそっとしまった封筒をちらりと見やりながら、セッツァーはワインとカードをテーブルに並べた。慣れた手付きでコルクを開け、カードを切り始めたセッツァーを見ながら、戸棚を開けてグラスを出す。灰皿は自分で何とかしろと告げ、注がれるワインを見守った。
「で、わざわざワインまで引っさげて何の話をしに来たんだ」
「わかってるだろ」
「さあ、何のことやら」
配られたカードの中身を見ながら、ワインを口に含んだ。上物のフィガロ産ワインだ。香りも、味わいも申し分ないもののはずなのに、あまり感じられない。ただ、アルコールがやたらと脳を揺らす。疲労のせいだろうか。
「まあいい。俺が言いたいのは一つだけだ。エドガー、アンタ忘れてることがないか?」
「忘れてること?」
「そうだ。世界がこうなって、俺たちはそれぞれ何もない中に放り出された。そこから長い時間をかけて、ようやくここまで来た。皮肉なもんだな。世界が引き裂かれて、何もなくなって初めて、俺達は剥き身の自分と向き合って、この滅びゆく世界の中で何を成すべきかを見つけてきた。その見つけたもののために、最後の大勝負に臨む」
「そうだな」
「アンタもそうだろう。だが、この期に及んでアンタは忘れてることがある」
「……俺が、剥き身の自分と向き合えていないと?」
役をなさないカードを抜いて、山札のカードを足した。アルコールの回りがやけに早い。思考が鈍る。
「そうは言ってない。もちろん向き合ったからここにいるんだろうさ。だから”忘れてる”って言ってんだ」
「勝負師は回りくどい言い方が好みのようだな。フィガロに来て外交担当になってほしいくらいだ」
「俺は王様に合わせてやってんの。エドガー、お前、忘れたままで命を賭けて後悔しないと言い切れるのか」
「……賭けられるさ。ずっとそうやって賭けてきたんだ。それに、死ぬ気なんかないよ。俺が死んだら、世界中のレディが悲しむ」
「そうだろうな。お前が必死で忘れようとしてる、何よりも大事なレディも悲しむだろうよ」
セッツァーが捨てたカードを見なければならないはずだった。セッツァーが何の役で勝負に出ようとしているのか、見極めねばならない。なのに、頭に入ってこなかった。
「……だったら尚のこと、死ぬ気はないね」
「その前にそこに置いてあるいいとこの嫁さんを貰って、忘れるからか? そんなこと本当にできんのかよ」
「……なぜ知ってる」
「フン、マッシュが言ってたからな」
「頼りになる弟を持って俺はしあわせだよ」
隠していたはずだが、長年離れていてもフィガロ王家の事情はよくわかっているようだ。大臣から送られてきたのは、見合いの催促だった。王位に就いてからこの手の話はうんざりするほど持ってこられた。ひとりの女性だけを愛するということがエドガーにはどうしてもできず、これまでのらくらと逃れてきた。しかし、今やフィガロ王家の代理を一手に引き受けている家臣が、世界を引き裂いた元凶を叩きに死地へ向かおうとする王を、黙って見送ってくれるほど甘くはなかった。
せめて婚礼の儀を挙げ、フィガロ王家存続のために万が一への備えをしてほしい、というのが大臣の言い分だった。それこそが、フィガロ国民の希望になりうると。理屈は理解できるが、この戦いにエドガー達が敗北すればそんな「備え」など何の意味もなくなる。とはいえ、帝国との同盟破棄を機に長らく城を空けている王に、国民が不安を抱くのもわからなくはない。かりそめの希望だけでも与えてやるのが、為政者としてあるべき姿なのだろうとわかってはいる。どのみち、勝利してもいずれはフィガロ王家存続のために尽くさねばならないのだ。もはや子供と呼べる年齢はとうに過ぎているのだから。
だが、踏ん切りがつかないでいた。理由はわかりきっている。
――エドガーは、他の人と眠る方が好き?
「フン、上手く振る舞っているつもりでも全部ダダ漏れだぜ王様。フィガロの女好き国王様は、男の”お”の字も知らないようなお嬢ちゃんを散々ヤリ捨てて、そのままトンズラこくつもりなのか」
「な……」
「何で知ってんだ、って言いたそうだな。俺はブラックジャック号のオーナーだぞ。気付かねえわけがあるかよ」
さらりとセッツァーに流されて、エドガーは深いため息をついた。考えてみれば、ティナと雨の夜を過ごしていたのは何も宿の中だけではない。夜は飛空艇のメンテナンスやカジノ台の整備やらで何かと部屋の外にいることの多かったセッツァーが、エドガーの部屋を訪れるティナの姿を見ていても不思議ではない。
「そうか……迂闊だったな」
「ま、お前らと会う前に俺の艇をそういう目的で使う奴だって少なくはなかった。だから、それ自体を咎める気はねえよ。ただお前、その様子じゃヤることヤッてるくせに、デキてるわけじゃなさそうだな。遊びだからか?」
「そう思うなら、思えばいい」
「本当にわかりやすいな。手札を隠す余裕ももうねえのか」
セッツァーはつまらさなそうにワインを煽った。チップコインを積み上げて弄びながら、エドガーを黙って見据えている。仕掛け時を待っているのだろう、と思った。負けると直感した。
「……俺に、何ができる? 俺は何も知らないティナを自分の欲のためだけに利用してしまったんだぞ」
「お前がティナを呼んでたわけじゃねえんだろ」
「ギャンブラー廃業して情報屋にでもなった方がいいんじゃないか」
「そりゃどうも。だが残念なことに、俺はギャンブルを愛しているし、情報源は当の本人だ。情報屋にはなれねえな」
「ティナに聞いたのか……?」
「話しかけられたから世間話のつもりだったんだがな。あのお姫さんはごまかすってことを知らねえんだな」
「何を聞いた?」
手が震えそうになるのは隠せたと思う。声が震えるのは隠せなかった。
「お前の部屋に行くってことだけだ。そっから先のことはまあ、下衆の勘繰りってやつだな」
「そうか……」
安堵したような、そうでもないような不思議な気持ちだった。思えば、内容はどうあれエドガーが秘めたものを共有している相手というのはいなかった気がする。双子の弟は共有とは少し違う方向性だった。
「で、話を戻すんだがお前、忘れてることがあるだろ。それを片付けねえで、ケフカに挑むつもりか? 惚れた女に自分の全てを賭けることもできねえ野郎が、命なんぞ賭けられんのか」
セッツァーがチップコインを更に積み上げた。
目を瞑れば、今も尚ティナを最後に抱いたときの言葉が寸分違わぬ感触と共に蘇る。ティナは愛することも、恋すらも知らない少女だから、余計な先入観を与えてはいけないと、何度も言いかけては飲み込んできた。ましてや自分はフィガロの王で、自分の言葉は何をもっても鎖となる。だから、黙って抱きしめることしかできなかった。それだけは許してほしいと願いながら。
「……それとこれとは関係ないだろう。そんなことをしている時間はない。こうしている間にも、世界は」
「崩壊に向かう、か? 何様だテメエ、そんなに王様の椅子が大事か? 王様なんぞに何ができるか、これまで散々見てきただろう」
「話にならないな。俺の私情と世界の行く末は全く繋がらないし、関係ないと言っている。俺が戦力にならないと言うなら置いていけばいいだけの話だ」
「ったく、王様は頭カテーから嫌んなるな。ならお前、城をほっぽって何のためにファルコンに乗ってんだ。フィガロのお偉いさんに、すぐに返事ができない理由は何だ。名前すら出そうとしないくせに、名前を聞いた途端に顔色が変わるのは何でだ。言ってることとやってることが矛盾しすぎなんだよ。忘れてんじゃねえぞ、”ここ”はフィガロじゃねえ。”お前”はどこにいて、何をしたいんだエドガー!」
バン、とテーブルに叩きつけられたセッツァーのカードを見て、エドガーは自らの手札も開いた。
許されざることをしてきた。初めて彼女に会ったとき、あれほどひどい言葉を投げかけた上に、旅の最中に純潔まで奪って、彼女が自分を頼ってくるのをいいことに何度も蹂躙した。それでも、ティナの身体は温かく、行為の度に、彼女はエドガーの腕の中でまるで子供のように安らかに眠っていた。その寝顔にそっと頬を寄せるのが、エドガーの罪悪感をほんの少しだけ紛らわせてくれるささやかなしあわせでもあったのだ。
「……俺の負けだ。まさか君にそこまで言われるとはね」
「ギャンブラー甘く見てんじゃねえぞ。人が見えなきゃ、ギャンブルはできねえ」
「なるほど、手強いわけだね」
グイ、とワインを一気に煽って、何度目かもわからない深いため息をついた。爽やかなぶどうの香りが鼻腔を突き抜けて、深い味わいが味覚を刺激する。アルコールが脳を揺らすのが心地よい気がした。
「何をしたい、か。あまりそういうことは考えたことがなかったな。やるべきことなら嫌になるほど考えたものだが」
「ま、お前の立場ならわからなくもねえよ。けど、マッシュが言ってたぞ。人に自由にしろって言っといて自分は一番自由にしないところが心配だって」
「そんなことはないよ。君たちが考えてる以上に自由にやっている」
今度はセッツァーが深いため息をつく番だった。こいつと俺とでは、自由の定義が違いすぎる。
「まあ、お前が言うならそうなんだろ。けどよ、”ここ”はフィガロじゃねえ。いつ最後になるかわからねえこんなときだからこそ、自分の想いは貫くべきだろ」
「俺の使命も俺の想いには違いないよ。だが、君の言うことはわかる。……さっきも言ったが俺の私情とこれからの戦いについては別問題だ。ここまで焚き付けておいて、振られた俺が今以上に使い物にならなくなったらどうするつもりだ」
「知るかよそんなこと。どっちにしろ使い物にならねえんなら、せめて忘れ物がない方が未練を残すことなく成仏できるだろ」
「なるほど、勉強になるよ」
ハハ、と笑ってカードを見つめた。確かにセッツァーの言う通りなのかもしれない。ティナを忘れることなどできないのは、この一年で嫌というほど思い知らされた。だが、何も知らないティナを蹂躙し、快楽に溺れた過去は消せない。ティナは何も知らないから拒絶しようもなかったのだと思う。快楽が悪夢の恐怖を払拭したという体験が、エドガーへの信頼に繋がってしまっただけのことだ。過ちは、正さなければならない。それをやらないままでいるのは、セッツァーの言う通り大きな忘れ物になってしまう。
たとえ許されなくても、どういうものかわかってもらえなくても、最後にティナを抱いたときに彼女の発した問いに対するエドガーの答えだけは知ってほしい。そう思った。
「おし、なら早速予定変更だ。補給部隊が戻り次第ファルコンを出す」
「待ってくれ、セッツァー」
「出鼻くじいてんじゃねえぞお前……」
「その前に城に寄ってくるよ」
「あ? 何でまた」
「決まってるだろ。これを突っ返しに行くのさ」
そう言って笑うエドガーの手には、先程しまい込まれていたフィガロからの封筒が握られていた。
ノックもそこそこに部屋の扉を開け放たれて、エドガーはため息をついた。眺めていた書類を封筒の中にしまい込む。
「どうして私の周りには、ノックもろくにできないような人間ばかり集まるのかね」
「知るか。補給部隊が戻るまで暇だからな。ちょっと付き合え」
「……やれやれ、少し休むと言ったはずなんだが」
「だから、よーく休めるように差し入れも持ってきてやったぞ」
セッツァーの片手にはワインの瓶が握られている。有無を言わせない空気を感じて、エドガーはもう一度ため息をついた。だが、酒の力を借りるのも悪くはない。
「いいだろう。1ゲームなら付き合ってやろう」
「そうこなくちゃな。敵前逃亡はナシだぜ王様」
エドガーがそっとしまった封筒をちらりと見やりながら、セッツァーはワインとカードをテーブルに並べた。慣れた手付きでコルクを開け、カードを切り始めたセッツァーを見ながら、戸棚を開けてグラスを出す。灰皿は自分で何とかしろと告げ、注がれるワインを見守った。
「で、わざわざワインまで引っさげて何の話をしに来たんだ」
「わかってるだろ」
「さあ、何のことやら」
配られたカードの中身を見ながら、ワインを口に含んだ。上物のフィガロ産ワインだ。香りも、味わいも申し分ないもののはずなのに、あまり感じられない。ただ、アルコールがやたらと脳を揺らす。疲労のせいだろうか。
「まあいい。俺が言いたいのは一つだけだ。エドガー、アンタ忘れてることがないか?」
「忘れてること?」
「そうだ。世界がこうなって、俺たちはそれぞれ何もない中に放り出された。そこから長い時間をかけて、ようやくここまで来た。皮肉なもんだな。世界が引き裂かれて、何もなくなって初めて、俺達は剥き身の自分と向き合って、この滅びゆく世界の中で何を成すべきかを見つけてきた。その見つけたもののために、最後の大勝負に臨む」
「そうだな」
「アンタもそうだろう。だが、この期に及んでアンタは忘れてることがある」
「……俺が、剥き身の自分と向き合えていないと?」
役をなさないカードを抜いて、山札のカードを足した。アルコールの回りがやけに早い。思考が鈍る。
「そうは言ってない。もちろん向き合ったからここにいるんだろうさ。だから”忘れてる”って言ってんだ」
「勝負師は回りくどい言い方が好みのようだな。フィガロに来て外交担当になってほしいくらいだ」
「俺は王様に合わせてやってんの。エドガー、お前、忘れたままで命を賭けて後悔しないと言い切れるのか」
「……賭けられるさ。ずっとそうやって賭けてきたんだ。それに、死ぬ気なんかないよ。俺が死んだら、世界中のレディが悲しむ」
「そうだろうな。お前が必死で忘れようとしてる、何よりも大事なレディも悲しむだろうよ」
セッツァーが捨てたカードを見なければならないはずだった。セッツァーが何の役で勝負に出ようとしているのか、見極めねばならない。なのに、頭に入ってこなかった。
「……だったら尚のこと、死ぬ気はないね」
「その前にそこに置いてあるいいとこの嫁さんを貰って、忘れるからか? そんなこと本当にできんのかよ」
「……なぜ知ってる」
「フン、マッシュが言ってたからな」
「頼りになる弟を持って俺はしあわせだよ」
隠していたはずだが、長年離れていてもフィガロ王家の事情はよくわかっているようだ。大臣から送られてきたのは、見合いの催促だった。王位に就いてからこの手の話はうんざりするほど持ってこられた。ひとりの女性だけを愛するということがエドガーにはどうしてもできず、これまでのらくらと逃れてきた。しかし、今やフィガロ王家の代理を一手に引き受けている家臣が、世界を引き裂いた元凶を叩きに死地へ向かおうとする王を、黙って見送ってくれるほど甘くはなかった。
せめて婚礼の儀を挙げ、フィガロ王家存続のために万が一への備えをしてほしい、というのが大臣の言い分だった。それこそが、フィガロ国民の希望になりうると。理屈は理解できるが、この戦いにエドガー達が敗北すればそんな「備え」など何の意味もなくなる。とはいえ、帝国との同盟破棄を機に長らく城を空けている王に、国民が不安を抱くのもわからなくはない。かりそめの希望だけでも与えてやるのが、為政者としてあるべき姿なのだろうとわかってはいる。どのみち、勝利してもいずれはフィガロ王家存続のために尽くさねばならないのだ。もはや子供と呼べる年齢はとうに過ぎているのだから。
だが、踏ん切りがつかないでいた。理由はわかりきっている。
――エドガーは、他の人と眠る方が好き?
「フン、上手く振る舞っているつもりでも全部ダダ漏れだぜ王様。フィガロの女好き国王様は、男の”お”の字も知らないようなお嬢ちゃんを散々ヤリ捨てて、そのままトンズラこくつもりなのか」
「な……」
「何で知ってんだ、って言いたそうだな。俺はブラックジャック号のオーナーだぞ。気付かねえわけがあるかよ」
さらりとセッツァーに流されて、エドガーは深いため息をついた。考えてみれば、ティナと雨の夜を過ごしていたのは何も宿の中だけではない。夜は飛空艇のメンテナンスやカジノ台の整備やらで何かと部屋の外にいることの多かったセッツァーが、エドガーの部屋を訪れるティナの姿を見ていても不思議ではない。
「そうか……迂闊だったな」
「ま、お前らと会う前に俺の艇をそういう目的で使う奴だって少なくはなかった。だから、それ自体を咎める気はねえよ。ただお前、その様子じゃヤることヤッてるくせに、デキてるわけじゃなさそうだな。遊びだからか?」
「そう思うなら、思えばいい」
「本当にわかりやすいな。手札を隠す余裕ももうねえのか」
セッツァーはつまらさなそうにワインを煽った。チップコインを積み上げて弄びながら、エドガーを黙って見据えている。仕掛け時を待っているのだろう、と思った。負けると直感した。
「……俺に、何ができる? 俺は何も知らないティナを自分の欲のためだけに利用してしまったんだぞ」
「お前がティナを呼んでたわけじゃねえんだろ」
「ギャンブラー廃業して情報屋にでもなった方がいいんじゃないか」
「そりゃどうも。だが残念なことに、俺はギャンブルを愛しているし、情報源は当の本人だ。情報屋にはなれねえな」
「ティナに聞いたのか……?」
「話しかけられたから世間話のつもりだったんだがな。あのお姫さんはごまかすってことを知らねえんだな」
「何を聞いた?」
手が震えそうになるのは隠せたと思う。声が震えるのは隠せなかった。
「お前の部屋に行くってことだけだ。そっから先のことはまあ、下衆の勘繰りってやつだな」
「そうか……」
安堵したような、そうでもないような不思議な気持ちだった。思えば、内容はどうあれエドガーが秘めたものを共有している相手というのはいなかった気がする。双子の弟は共有とは少し違う方向性だった。
「で、話を戻すんだがお前、忘れてることがあるだろ。それを片付けねえで、ケフカに挑むつもりか? 惚れた女に自分の全てを賭けることもできねえ野郎が、命なんぞ賭けられんのか」
セッツァーがチップコインを更に積み上げた。
目を瞑れば、今も尚ティナを最後に抱いたときの言葉が寸分違わぬ感触と共に蘇る。ティナは愛することも、恋すらも知らない少女だから、余計な先入観を与えてはいけないと、何度も言いかけては飲み込んできた。ましてや自分はフィガロの王で、自分の言葉は何をもっても鎖となる。だから、黙って抱きしめることしかできなかった。それだけは許してほしいと願いながら。
「……それとこれとは関係ないだろう。そんなことをしている時間はない。こうしている間にも、世界は」
「崩壊に向かう、か? 何様だテメエ、そんなに王様の椅子が大事か? 王様なんぞに何ができるか、これまで散々見てきただろう」
「話にならないな。俺の私情と世界の行く末は全く繋がらないし、関係ないと言っている。俺が戦力にならないと言うなら置いていけばいいだけの話だ」
「ったく、王様は頭カテーから嫌んなるな。ならお前、城をほっぽって何のためにファルコンに乗ってんだ。フィガロのお偉いさんに、すぐに返事ができない理由は何だ。名前すら出そうとしないくせに、名前を聞いた途端に顔色が変わるのは何でだ。言ってることとやってることが矛盾しすぎなんだよ。忘れてんじゃねえぞ、”ここ”はフィガロじゃねえ。”お前”はどこにいて、何をしたいんだエドガー!」
バン、とテーブルに叩きつけられたセッツァーのカードを見て、エドガーは自らの手札も開いた。
許されざることをしてきた。初めて彼女に会ったとき、あれほどひどい言葉を投げかけた上に、旅の最中に純潔まで奪って、彼女が自分を頼ってくるのをいいことに何度も蹂躙した。それでも、ティナの身体は温かく、行為の度に、彼女はエドガーの腕の中でまるで子供のように安らかに眠っていた。その寝顔にそっと頬を寄せるのが、エドガーの罪悪感をほんの少しだけ紛らわせてくれるささやかなしあわせでもあったのだ。
「……俺の負けだ。まさか君にそこまで言われるとはね」
「ギャンブラー甘く見てんじゃねえぞ。人が見えなきゃ、ギャンブルはできねえ」
「なるほど、手強いわけだね」
グイ、とワインを一気に煽って、何度目かもわからない深いため息をついた。爽やかなぶどうの香りが鼻腔を突き抜けて、深い味わいが味覚を刺激する。アルコールが脳を揺らすのが心地よい気がした。
「何をしたい、か。あまりそういうことは考えたことがなかったな。やるべきことなら嫌になるほど考えたものだが」
「ま、お前の立場ならわからなくもねえよ。けど、マッシュが言ってたぞ。人に自由にしろって言っといて自分は一番自由にしないところが心配だって」
「そんなことはないよ。君たちが考えてる以上に自由にやっている」
今度はセッツァーが深いため息をつく番だった。こいつと俺とでは、自由の定義が違いすぎる。
「まあ、お前が言うならそうなんだろ。けどよ、”ここ”はフィガロじゃねえ。いつ最後になるかわからねえこんなときだからこそ、自分の想いは貫くべきだろ」
「俺の使命も俺の想いには違いないよ。だが、君の言うことはわかる。……さっきも言ったが俺の私情とこれからの戦いについては別問題だ。ここまで焚き付けておいて、振られた俺が今以上に使い物にならなくなったらどうするつもりだ」
「知るかよそんなこと。どっちにしろ使い物にならねえんなら、せめて忘れ物がない方が未練を残すことなく成仏できるだろ」
「なるほど、勉強になるよ」
ハハ、と笑ってカードを見つめた。確かにセッツァーの言う通りなのかもしれない。ティナを忘れることなどできないのは、この一年で嫌というほど思い知らされた。だが、何も知らないティナを蹂躙し、快楽に溺れた過去は消せない。ティナは何も知らないから拒絶しようもなかったのだと思う。快楽が悪夢の恐怖を払拭したという体験が、エドガーへの信頼に繋がってしまっただけのことだ。過ちは、正さなければならない。それをやらないままでいるのは、セッツァーの言う通り大きな忘れ物になってしまう。
たとえ許されなくても、どういうものかわかってもらえなくても、最後にティナを抱いたときに彼女の発した問いに対するエドガーの答えだけは知ってほしい。そう思った。
「おし、なら早速予定変更だ。補給部隊が戻り次第ファルコンを出す」
「待ってくれ、セッツァー」
「出鼻くじいてんじゃねえぞお前……」
「その前に城に寄ってくるよ」
「あ? 何でまた」
「決まってるだろ。これを突っ返しに行くのさ」
そう言って笑うエドガーの手には、先程しまい込まれていたフィガロからの封筒が握られていた。