鼻の奥がツンと痛んだところで、「……ポロム!」とカインの呼ぶ声が聞こえた。
返事をして部屋を飛び出す。声のした方に駆け足で行くと、キッチンにカインはいた。
「これがそうか?」
と言って差し出された大きな手の真ん中には、細い鎖に通された小さな指輪が乗っていた。
ポロムは目を丸くして、指輪とカインを交互に見た。
「ど、どこに……? ここも探したはずなのに」
「調理台の前に敷かれたラグの隙間に入り込んでいたぞ。料理中に落ちて、お前が動いているうちに隙間に転がり込んだんだろう」
「そう、ですか……」
受け取る瞬間に、カインと手が触れ合ってその温かさに心が溢れそうになった。
「ありがとうございました」
「大事なものなんだろう。気をつけるんだな」
「はい……。いただいたその瞬間から、ずっと私の宝物だったんです。本当によかった……」
「見つかってよかったな。それだけ大事にしてもらえたなら、あげた奴もさぞ喜んでいることだろう」
思わず涙ぐむポロムに、カインは頭を撫でようとしてその手を引っ込めた。そうするべきではない、と感じた。
「……カインさん、喜んでくださるのですか?」
指輪を大事そうに小さな手に包み込みながら、首を傾げて見上げてきたポロムに、カインは思わずどきりとした。それと同時に、ポロムの言葉に疑問を感じる。
「喜ぶ? 俺が?」
「はい。この指輪はカインさんがくださったものですから」
「な……?」
頭を殴られたような、というのはこういうことを言うのだろうか。かつて試練の山の鏡の間から飛び出してきた自らの半身に叩きのめされたときよりも衝撃だったかもしれない。ポロムに指輪を贈っていたなど、全く記憶に残っていない。
カインが目を白黒させているのを見て、ポロムはくすくすと笑った。
「カインさんもそんなに動揺することがあるのですね」
「すまない……。全く記憶にないものでな」
「無理もありません。これは、私の10歳の誕生日に、たまたまそれを知ったカインさんがくださったものですから」
そう言われてみれば、何となくおぼろげな記憶はあるような気がする。ポロムの10歳の誕生日、ということは試練の山での修行中のことだ。双子の誕生日を毎年祝ってやっていたわけではない。ミシディアの長老の使いでやってきたその日が、偶然双子の誕生日だっただけのことだ。「オイラたちもやっと10歳だからな! 早く賢者の修行を始めたいんだよなあ」と自慢げな顔をしていたパロムに、「そんなこと言って、今朝も長老に叱られたところじゃないの」とやり返すポロムを見て、いくつになっても変わらないなと笑った。
その日の帰りに、カインは双子を山の麓ではなくミシディアまで送り届けた。いつも使いに来てくれる礼と、誕生日祝いを兼ねて簡単なものならプレゼントしてやろう、と言った。パロムは大喜びで魔力が高まるというローブをねだってきた。一方ポロムは、「そんな気を使っていただくことではありませんわ」と頑として譲らなかった。
目当ての物を得て、大喜びで祈りの館に向かうパロムを見送って、夕食の支度のために買い出しをするポロムに荷物持ちとして付き合ってやることにした。恐縮しつつも、大の男に荷物を持ってもらえるのは非常に便利だったらしく、次々と増えていく荷物にカインは苦笑しながら付き従った。何を話したのかはあまり覚えていない。
そろそろ買い出しも終えて、帰路につく途中でポロムがふと足を止めた。何の変哲もない雑貨屋の前で、カインから見れば貴金属とも呼べないおもちゃのアクセサリーが並んでいるのを、ポロムは見つめていた。その光景に、昔の記憶が少しだけ呼び覚まされた。そういえば、ローザもこれぐらいの年頃のときにこうした雑貨屋で足を止めることがあった。セシルと二人で、こういうものの何がいいのだろうと首を捻ったものだ。
とはいえ、ポロムもやはりそういう年頃で、普通の女の子と変わらない部分があるのだなとやけに安心感を覚えた。
「誕生日だと言っていたな。どれかプレゼントするぞ」
「そんな、カインさんにいただくなんて……」
「そう遠慮するな。俺がそうしたいだけなんだ」
そう言うと、陳列されていた中からポロムが特に視線を注いでいた指輪を手に取り、店主にギルを払って綺麗に包装してもらってからポロムに差し出した。ポロムは目をキラキラとさせて、包みを胸に大事に抱いて「あ、ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
あれから、何年経ったのだろう。今目の前にいる少女は、そのときのおもちゃの指輪を未だに大事に持っていて、無くしたとあらば任務のための荷造りすらも上の空になるほど熱心に探してくれていたという事実に、心臓があり得ない音を立てる。
「……まいったな」
「カインさん?」
ポロムが必死になって探していたというものが指輪だと知ったとき、胸の内に湧いた面白くない感情。しかもその指輪は取るに足らないおもちゃの指輪だというのに、貰ったその瞬間から宝物なのだとポロムが言ったとき、彼は彼女に思わぬ感情を抱いていたことを自覚した。自覚したその瞬間、またあの時と同じなのかと心の中で自嘲した。
ところが真相はと言えば、カインの想像とはまるで真逆だった上に、ポロムの言葉を紐解けばつまり――。
「俺は、その指輪の送り主に嫉妬していたんだがな。よもやそれが俺だったとは予想もしていなかった」
「し、嫉妬って、カインさんがどうして……」
「ついでに、お前は自分が何を言っているのかまるでわかっていないな? それもまいった」
「何をって、この指輪はカインさんからいただいた瞬間から私の……あ!」
よくよく自分の言葉を反芻して、ポロムが耳まで顔を赤く染め上げる。その姿が何とも可愛らしく感じられて、カインはくつくつと笑った。一度引っ込めた手を、ポロムの頭にもう一度伸ばす。
「……ポロム。少し話ができるか? できれば、ゆっくりと」
「で、でも、飛空艇の時間が……」
「先に帰っててもらうさ。バロンにはデビルロードを使って行こう。……ふたりで」
「……はい」
その後、とっぷりと日が暮れてからふたりは仲良くデビルロードを通ってバロンの街に到着したものの、事情もわからないまま先に飛空艇だけが戻ってきたことに胃に穴が開きそうなほど心配をしていたバロン国王夫妻からしこたま説教を食らった。挙げ句、ポロムがバロンに滞在する数日の間、世話人としての任務をカインは言い渡されてしまった。
ポロムがバロンを出る前日に、世話人と仲睦まじく宝石店に入っていき、揃いの指輪を誂えて出てきたことがバロン国王の耳に入るまでに、そう時間はかからなかった。
「カインさん、さすがにこんなものをいただくなんて……」
「そう遠慮するな。俺がそうしたいだけなんだ。それに、恋人の宝物が子供の頃に意味もなく贈った安物のおもちゃだけだなんて、さすがに俺のプライドが傷つく」
「私はカインさんといられるだけでも十分ですのに」
「俺もそうだ。だが、形として新しい宝物ができるのも悪くはないだろう」
「……はい。嬉しいです」
そう言いながらふたりで互いの指を絡ませ、はにかんだ笑みを見せ合う聖竜騎士と白魔道士の初々しくも仲睦まじい姿を城のテラスから眺めながら、「ミシディアに使いを送っておいた方がいいのかなあ」と微笑み合うバロン国王夫妻の姿があった。
返事をして部屋を飛び出す。声のした方に駆け足で行くと、キッチンにカインはいた。
「これがそうか?」
と言って差し出された大きな手の真ん中には、細い鎖に通された小さな指輪が乗っていた。
ポロムは目を丸くして、指輪とカインを交互に見た。
「ど、どこに……? ここも探したはずなのに」
「調理台の前に敷かれたラグの隙間に入り込んでいたぞ。料理中に落ちて、お前が動いているうちに隙間に転がり込んだんだろう」
「そう、ですか……」
受け取る瞬間に、カインと手が触れ合ってその温かさに心が溢れそうになった。
「ありがとうございました」
「大事なものなんだろう。気をつけるんだな」
「はい……。いただいたその瞬間から、ずっと私の宝物だったんです。本当によかった……」
「見つかってよかったな。それだけ大事にしてもらえたなら、あげた奴もさぞ喜んでいることだろう」
思わず涙ぐむポロムに、カインは頭を撫でようとしてその手を引っ込めた。そうするべきではない、と感じた。
「……カインさん、喜んでくださるのですか?」
指輪を大事そうに小さな手に包み込みながら、首を傾げて見上げてきたポロムに、カインは思わずどきりとした。それと同時に、ポロムの言葉に疑問を感じる。
「喜ぶ? 俺が?」
「はい。この指輪はカインさんがくださったものですから」
「な……?」
頭を殴られたような、というのはこういうことを言うのだろうか。かつて試練の山の鏡の間から飛び出してきた自らの半身に叩きのめされたときよりも衝撃だったかもしれない。ポロムに指輪を贈っていたなど、全く記憶に残っていない。
カインが目を白黒させているのを見て、ポロムはくすくすと笑った。
「カインさんもそんなに動揺することがあるのですね」
「すまない……。全く記憶にないものでな」
「無理もありません。これは、私の10歳の誕生日に、たまたまそれを知ったカインさんがくださったものですから」
そう言われてみれば、何となくおぼろげな記憶はあるような気がする。ポロムの10歳の誕生日、ということは試練の山での修行中のことだ。双子の誕生日を毎年祝ってやっていたわけではない。ミシディアの長老の使いでやってきたその日が、偶然双子の誕生日だっただけのことだ。「オイラたちもやっと10歳だからな! 早く賢者の修行を始めたいんだよなあ」と自慢げな顔をしていたパロムに、「そんなこと言って、今朝も長老に叱られたところじゃないの」とやり返すポロムを見て、いくつになっても変わらないなと笑った。
その日の帰りに、カインは双子を山の麓ではなくミシディアまで送り届けた。いつも使いに来てくれる礼と、誕生日祝いを兼ねて簡単なものならプレゼントしてやろう、と言った。パロムは大喜びで魔力が高まるというローブをねだってきた。一方ポロムは、「そんな気を使っていただくことではありませんわ」と頑として譲らなかった。
目当ての物を得て、大喜びで祈りの館に向かうパロムを見送って、夕食の支度のために買い出しをするポロムに荷物持ちとして付き合ってやることにした。恐縮しつつも、大の男に荷物を持ってもらえるのは非常に便利だったらしく、次々と増えていく荷物にカインは苦笑しながら付き従った。何を話したのかはあまり覚えていない。
そろそろ買い出しも終えて、帰路につく途中でポロムがふと足を止めた。何の変哲もない雑貨屋の前で、カインから見れば貴金属とも呼べないおもちゃのアクセサリーが並んでいるのを、ポロムは見つめていた。その光景に、昔の記憶が少しだけ呼び覚まされた。そういえば、ローザもこれぐらいの年頃のときにこうした雑貨屋で足を止めることがあった。セシルと二人で、こういうものの何がいいのだろうと首を捻ったものだ。
とはいえ、ポロムもやはりそういう年頃で、普通の女の子と変わらない部分があるのだなとやけに安心感を覚えた。
「誕生日だと言っていたな。どれかプレゼントするぞ」
「そんな、カインさんにいただくなんて……」
「そう遠慮するな。俺がそうしたいだけなんだ」
そう言うと、陳列されていた中からポロムが特に視線を注いでいた指輪を手に取り、店主にギルを払って綺麗に包装してもらってからポロムに差し出した。ポロムは目をキラキラとさせて、包みを胸に大事に抱いて「あ、ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
あれから、何年経ったのだろう。今目の前にいる少女は、そのときのおもちゃの指輪を未だに大事に持っていて、無くしたとあらば任務のための荷造りすらも上の空になるほど熱心に探してくれていたという事実に、心臓があり得ない音を立てる。
「……まいったな」
「カインさん?」
ポロムが必死になって探していたというものが指輪だと知ったとき、胸の内に湧いた面白くない感情。しかもその指輪は取るに足らないおもちゃの指輪だというのに、貰ったその瞬間から宝物なのだとポロムが言ったとき、彼は彼女に思わぬ感情を抱いていたことを自覚した。自覚したその瞬間、またあの時と同じなのかと心の中で自嘲した。
ところが真相はと言えば、カインの想像とはまるで真逆だった上に、ポロムの言葉を紐解けばつまり――。
「俺は、その指輪の送り主に嫉妬していたんだがな。よもやそれが俺だったとは予想もしていなかった」
「し、嫉妬って、カインさんがどうして……」
「ついでに、お前は自分が何を言っているのかまるでわかっていないな? それもまいった」
「何をって、この指輪はカインさんからいただいた瞬間から私の……あ!」
よくよく自分の言葉を反芻して、ポロムが耳まで顔を赤く染め上げる。その姿が何とも可愛らしく感じられて、カインはくつくつと笑った。一度引っ込めた手を、ポロムの頭にもう一度伸ばす。
「……ポロム。少し話ができるか? できれば、ゆっくりと」
「で、でも、飛空艇の時間が……」
「先に帰っててもらうさ。バロンにはデビルロードを使って行こう。……ふたりで」
「……はい」
その後、とっぷりと日が暮れてからふたりは仲良くデビルロードを通ってバロンの街に到着したものの、事情もわからないまま先に飛空艇だけが戻ってきたことに胃に穴が開きそうなほど心配をしていたバロン国王夫妻からしこたま説教を食らった。挙げ句、ポロムがバロンに滞在する数日の間、世話人としての任務をカインは言い渡されてしまった。
ポロムがバロンを出る前日に、世話人と仲睦まじく宝石店に入っていき、揃いの指輪を誂えて出てきたことがバロン国王の耳に入るまでに、そう時間はかからなかった。
「カインさん、さすがにこんなものをいただくなんて……」
「そう遠慮するな。俺がそうしたいだけなんだ。それに、恋人の宝物が子供の頃に意味もなく贈った安物のおもちゃだけだなんて、さすがに俺のプライドが傷つく」
「私はカインさんといられるだけでも十分ですのに」
「俺もそうだ。だが、形として新しい宝物ができるのも悪くはないだろう」
「……はい。嬉しいです」
そう言いながらふたりで互いの指を絡ませ、はにかんだ笑みを見せ合う聖竜騎士と白魔道士の初々しくも仲睦まじい姿を城のテラスから眺めながら、「ミシディアに使いを送っておいた方がいいのかなあ」と微笑み合うバロン国王夫妻の姿があった。