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2019/06/28 12:18
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 雨の音が聞こえる。
 机に置かれている新聞に目を通した。新聞に書かれていることは、毎日大差ないことだ。大差ない内容であれ、新聞が発行されているということがまず奇跡というべきだろうか。
 自らの治世より遥かに短い期間のはずなのに、それ以上の時間が流れたような気がする。当のフィガロ城は、今や砂の中だが。
 世界が引き裂かれて、真っ二つに折れた飛空艇から放り出されて、死を覚悟した。最後に目に入ったのは、飛空艇の甲板の縁でセッツァーに掴まるティナの姿だった。無駄だとわかっていたが手を伸ばした。ティナも伸ばしてくれたような気がしたが、まったく届かなかった。
 雨の音が聞こえるのに、ドアの外には何の気配も感じなくなった。今頃、泣いてはいないだろうか。散々彼女を傷つけてきた自分にティナを心配する資格などないはずなのに、雨が降ると心が騒いだ。

――エドガーは、他の人と眠る方が好き?

 ティナの声が、柔らかさが、温もりが、これだけ月日を経て、他の相手と戯れに床を共にしても尚、消えなかった。蓋をしてきたものが、こういうときになって露呈するとは皮肉なものだ。否、こういうときだからこそ露呈してしまうのだろう。蓋をする余裕などないから。
 だが、エドガーにはまずやらなければならないことがある。砂漠に沈んだまま、姿を見せなくなったというフィガロ城。砂の中に沈んでしまうと、地上からフィガロ城の位置を捕捉することは困難だ。そのための潜行機能なのだから当たり前なのだが、今は完全に裏目に出てしまっていた。仲間の安否は気にかかる、世界の情勢も。
 それよりも優先されるべきものが、エドガーにはある。頭を振って、新聞を閉じ窓の外に視線をやった。

「ボス、ひでえ雨ですがどうしますか」

 ノックもなしに無遠慮にドアを開けられて、エドガーはため息をついた。暑苦しいウィッグを外さずにいたのは正解だった。誰かが部屋に近付いている気配など、まったく気付かなかった。彼女の気配なら必ず気付いていたというのに。こんなところでも否応なく自覚させられて、笑えてくる。
 ティナはこの世界のどこかで必ず生きているはずだ。双子の弟と同様、その生死に一点の疑問もなかった。だが、彼女が自分と眠ることはもう二度とない。あの日から既に一年以上が経った。ティナもそろそろ、気付いているはずだ。雨の夜に自分たちがしていた行為の意味に。それなのに、可能ならもう一度と願ってしまう自分が腹立たしい。

「ボス?」
「ああ、なんでもない。確かに、これ以上宿に泊まるのも無駄金を叩くことになるからな。なに、洞窟に入ってしまえば雨など問題にならないだろう。明朝には出るぞ。おかしな奴らもついてきているようだしな」
「わかりやした!」

 威勢のいい返事を残してドアを閉めもせずに部屋を後にする「子分」にエドガーは苦笑交じりに立ち上がった。扉の向こうに、見慣れた仲間の姿が見える。

「エドガーなんでしょ?」
「……人違いだぜ。あきらめな」

 やたらとティナのことを思い出すのは、こんなところで思わぬ再会を果たしてしまったせいだろう。

*

 雨の音が聞こえる。
 かまどの火を消して、ティナは子供たちを部屋に集めた。それぞれのベッドに子供たちを寝かせて、布団をかけていく。最初はにぎやかだった部屋も少しずつ静かになっていって、雨の音だけが部屋を支配するようになった。
 少しだけ寒気を感じて、暖炉に薪をくべた。暖炉の火を見ていると、みんなと旅をしていたときのことを思い出す。一番よく思い出すのは、ナルシェでエドガーと一緒に他の仲間達との合流を待っている間のことだった。エドガーは、こうして暖炉の前で色んな話を聞かせてくれた。難しい話も多かったが、エドガーはティナの無知を咎めたりはせず、なるべく簡単に説明してくれた。エドガーの柔らかなテノールを聞くのがとても好きだった。
 ほんの情報収集のつもりで立ち寄ったはずの村で、子供たちにまとわりつかれ、出るに出られなくなってしまった。仲間たちのことは気がかりだったが、なぜか何の関わりもないはずの子供たちを放っておけなかった。
 ティナが自分の変化に気付いたのは、それから間もなくのことだった。幻獣たちの気配を感じなくなった。身体が重くなって、剣を持てなくなった。こんなに重いものを振るっていたのかと驚いた。その一方で、子供たちはティナを必要とする。戦力や兵器としてではなく、ティナ・ブランフォードという「人物」を。それを感じる度に、剣は重さを増していった。魔法はいつからか使えなくなっていた。
 それは喜ばしいことのはずだった。戦いなど望んではいない。自分の力は、様々なものを傷つけてきた。魔導の力を求めた人間たちが目の前でしてきたことを考えれば、そんなものはなくなってしまえばいいはずだった。「生まれつき魔導の力を持つ人間などいない」のだから。
 だが、一方で大きな不安もあった。世界が引き裂かれたあの日に蘇ったという古の魔物が辺りをうろついている。こんな子供だけの村が襲われてしまえば、ひとたまりもない。ケフカの裁きの光が再びこの村を焼き尽くすかもしれない。そのときに、自分は何の力にもなれないのだろうか。
 ティナはため息をついて、暖炉の火を見つめた。こんなとき、エドガーならどうするのだろう。エドガーなら、きっと何か上手い作戦を考えてくれるのかもしれないのに、ティナはひとりでは何も考えつかない。

「ティナ……ちょっといい?」
「カタリーナ?」

 声をかけられて振り向けば、この村でティナの次に年長の少女が立っていた。カタリーナと呼ばれた少女はティナに静かに歩み寄ると、ティナの隣に腰を下ろした。

「どうしたの?」
「こないだ来た人たちのことだけど」

 ああ、とティナは表情を曇らせた。数日前、この村に来訪者があった。かつての見慣れた顔に、ティナは嬉しい気持ちでいっぱいになった。地形も気候も生態系も変わってしまったこの滅びゆく世界で、仲間が生きていたというだけでも嬉しかった。彼女たちは「一緒に戦おう」と言ってくれた。だが、ティナは行けなかった。剣を持ち上げることすらできなくなっていたから。そしてそれ以上に、子供たちを放っていくことができなかった。

「セリスとマッシュのこと? あの人達は仲間よ。悪い人じゃないわ」
「わかっているわ。だけどちょっと気になって。ティナが、誰かのことを熱心に聞いていたから」
「エドガーのこと?」
「そう。恋人?」

 そんなに熱心に聞いていたつもりはないが、彼女の目にはそう映ったらしい。カタリーナが何を言いたいのかよくわからなくて、ティナは眉尻を下げた。
 恋人になど、なったことはない。恋人同士がするらしいことはしていたが、エドガーとティナは恋人ではない、と思う。身体を重ねることはあっても、ディーンとカタリーナのように陰で愛を囁き、口唇を重ねることは一度もなかった。そういう関係を恋人とはきっと呼ばない。今まで読んだどの物語を思い出しても、恋人とはそういうものではなかった。

「……恋人って、どういうものなのかしら」

 ティナの言葉に、カタリーナはどう声をかけたものかわからなくなった。

「お互いに好きって思い合ってる……かな」
「ディーンとカタリーナはそうだったの?」
「ん……まあ」
「なら、私とエドガーはそういうのじゃないわ。……エドガーは、いつも苦しそうな顔をしていたから。どうすれば苦しくなくなるのかなっていつも思ってたけど、ダメだったの。きっと、エドガーは私のことを好きじゃないのね」

 自分で言った言葉に胸がちくりと痛んだ。

「ティナはその、エドガーって人を好きなの?」

 正面から問われて、ティナは戸惑った。好きか、と言われるともちろん好きなのだが、この場合の意味はおそらく違うものだろうと思った。
 ――違う? 違うって、何がだろう。

「……わからないの。きっと、私が……」

 わからないのは力のせいだと思っていたのに、そうではないことに気付かされて、ティナは俯いてしまった。ただ、無性にエドガーに会いたくなった。

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