一方、その頃。
久方ぶりの客人だというのに、フィガロ城の動力部に発生したトラブルのために夕食会を中座せざるを得なかったエドガーがやれやれとエンジンルームから出てきたのは、既に宴会もお開きになってしまった頃だった。フィガロ城の主にして、機械王国フィガロが誇る機械師団の元帥も務めるエドガーは、いわばこの国最高峰のエンジニアだ。更に、フィガロ城の動力部は王国の最高機密であり、その構造を詳しく知る者はエドガー以外にはほぼいない。
「申し訳ありません、陛下。ご友人との久方ぶりの再会だというのに……」
「構わないよ。これも私の仕事だからね。客人はしばらくフィガロに滞在することになっているし、宴席はまた別の機会に設ければ良いさ」
「しかし、蓋を開けてみれば陛下をお呼びするほどの案件でもなかったと……」
「蓋は開けてみないとわからないものだしね。放っておけばまたあの時のような大事故にもなりかねない。君たちの判断は正しかったよ。まあ師団長たちにはもう少しだけお灸を据えておこうか。いつまでも私頼みでは困ると」
エドガーの後について階段を上る側近には、彼の表情は読めない。だが、軽く柔らかな口調ながらも今夜のこの事態をエドガーがあまり面白く思っていないであろうことははっきりと伝わってきて、お灸を据えられる師団長たちに彼はひっそり同情した。
「陛下、この後はどうされますか。お客人とティナ様は既にそれぞれのお部屋に下がられたとのことですが」
「ああ、そんなに経つのか。客人の部屋には、不用意に近付かないように皆に申し伝えておいてくれ。特に夜だ。天才画家の仕事を邪魔してはならない」
「は」
「私はもう休むことにするよ。機械いじりは好きだが、やはり疲れる」
「かしこまりました。湯殿のご用意はできております」
「ありがとう」
恭しく頭を下げる側近に片手を上げて下がるよう指示をし、エドガーは浴場に向かった。浴場の入口にティナ付きの側仕えの者が控えているのが見える。どうやらティナが先に湯を使っているらしい。
「おや、先客だね」
「エドガー様。これからお湯浴みでしょうか」
「そのつもりだったけど、遠慮した方がいいかな」
「いいえ。ティナ様もエドガー様がなかなか戻られないことを心配されておりましたので。お姿をお見せになるとよろしいかと」
「では、お言葉に甘えよう。君はもう下がって休んでいいよ」
「承知しました。陛下のお召し替えはお部屋でよろしいですか」
「うん。ありがとう」
具体的に言わずとも全てを察してくれる側仕えにやや苦笑しつつ、エドガーは浴場の扉をくぐった。そういえば、今日は一日ティナとゆっくり話をする機会もなかったように思う。ティナのふわりとした笑顔を思い浮かべると、重い身体が軽くなる心地がした。
埃と機械油にまみれた作業服を脱ぎ捨て、砂漠の太陽と称される鮮やかな金髪をまとめている、紺碧のリボンを解く。中に入ると、中央に設けられた広い浴槽でしどけなくお湯に浸かるティナが目に入った。自然と、口元が綻ぶ。ぺたぺたと裸足で歩み寄り、恭しくひざまづく。
「お待たせ、ティナ」
「エドガー……! もう動力部は直ったの?」
「ああ、大したことはなかったよ」
「よかった」
エドガーの顔を見て、子供のようにぱっと晴れやかな笑顔を見せるティナに、エドガーも釣られて笑う。出会った頃には、記憶もなく、わけもわからず手から溢れる力に対し愁いを帯びた表情の多かった彼女だが、共に戦ううちにすっかり表情も感情も豊かになり、くるくると多彩な顔を見せてくれるようになった。それが万人に向けられていることに胸が痛んだ時期もあったが、昔の話だ。今は、エドガーしか知らない表情もたくさんある。
既に全身を磨き込んだ後なのだろうか、湯に濡れてもふわふわとした柔らかなウェーブを描いているティナの髪にそっと触れる。目の下を赤く染めて、その大きな瞳を細めながらティナの柔らかな手が、エドガーの手に添えられる。愛らしくて、エドガーへの情愛に溢れたその表情は、フィガロ王門外不出の至宝と言っても過言ではない。墓まで持っていく。
そのまま顔を近づけ、柔らかく口唇を重ねた。もう少し深く、と思ったが全身ぴかぴかのティナと違い、まだ湯を浴びてすらいない埃まみれの状態なことを思い出して、少し角度を変えてもう一度啄むだけに留めておいた。
「このまま一緒に入るわけにはいかないな。貴重な湯を汚すなと叱られてしまう」
「そうね。エドガーってば手も顔も真っ黒になっているもの」
「これだから機械いじりは困る」
「でも好きなのよね」
「そうだね」
くすくすと笑うティナに肩をすくめながら、エドガーは湯を被った。スポンジに石けんをよく泡立てていると、ティナが湯から上がる音が聞こえた。ティナがいつから湯に浸かっているのかはわからない。もう限界なのだろうかとやや残念な気持ちになる。
もう上がるのかい、と声をかけようとしたところで、背中にしっとりと濡れた肌の感触を感じた。どきりとする。
「……どうしたんだい」
「洗ってあげようと思って」
「俺を?」
「……うん」
背中に感じるティナの頬と、ささやかながらも柔らかな胸の膨らみの感触と、湯で温まった肌の熱が、否応なしにエドガーの熱も煽り立てる。背中越しにとくとくとティナの心臓の音が伝わるようで、たまらない気持ちになってくる。ティナの細い腕がエドガーの前でしっかりと組まれ、彼の逞しい肉体を味わうようにするりと撫でられて息が詰まる。
普段は控えめで、こういうことはエドガーからというのが半ばお決まりと化しているのだが、ティナからというのは珍しい。だが、どうしようもなく嬉しい。
「では、お願いするよ」
ティナの手に、たっぷりと泡を含んだスポンジを握らせて、エドガーは微笑んだ。ティナは嬉しそうにエドガーの背中にひとつキスを贈ると、ぴょこりと彼の隣に身を乗り出した。
「まかせて。うんときれいにしてあげる」
久方ぶりの客人だというのに、フィガロ城の動力部に発生したトラブルのために夕食会を中座せざるを得なかったエドガーがやれやれとエンジンルームから出てきたのは、既に宴会もお開きになってしまった頃だった。フィガロ城の主にして、機械王国フィガロが誇る機械師団の元帥も務めるエドガーは、いわばこの国最高峰のエンジニアだ。更に、フィガロ城の動力部は王国の最高機密であり、その構造を詳しく知る者はエドガー以外にはほぼいない。
「申し訳ありません、陛下。ご友人との久方ぶりの再会だというのに……」
「構わないよ。これも私の仕事だからね。客人はしばらくフィガロに滞在することになっているし、宴席はまた別の機会に設ければ良いさ」
「しかし、蓋を開けてみれば陛下をお呼びするほどの案件でもなかったと……」
「蓋は開けてみないとわからないものだしね。放っておけばまたあの時のような大事故にもなりかねない。君たちの判断は正しかったよ。まあ師団長たちにはもう少しだけお灸を据えておこうか。いつまでも私頼みでは困ると」
エドガーの後について階段を上る側近には、彼の表情は読めない。だが、軽く柔らかな口調ながらも今夜のこの事態をエドガーがあまり面白く思っていないであろうことははっきりと伝わってきて、お灸を据えられる師団長たちに彼はひっそり同情した。
「陛下、この後はどうされますか。お客人とティナ様は既にそれぞれのお部屋に下がられたとのことですが」
「ああ、そんなに経つのか。客人の部屋には、不用意に近付かないように皆に申し伝えておいてくれ。特に夜だ。天才画家の仕事を邪魔してはならない」
「は」
「私はもう休むことにするよ。機械いじりは好きだが、やはり疲れる」
「かしこまりました。湯殿のご用意はできております」
「ありがとう」
恭しく頭を下げる側近に片手を上げて下がるよう指示をし、エドガーは浴場に向かった。浴場の入口にティナ付きの側仕えの者が控えているのが見える。どうやらティナが先に湯を使っているらしい。
「おや、先客だね」
「エドガー様。これからお湯浴みでしょうか」
「そのつもりだったけど、遠慮した方がいいかな」
「いいえ。ティナ様もエドガー様がなかなか戻られないことを心配されておりましたので。お姿をお見せになるとよろしいかと」
「では、お言葉に甘えよう。君はもう下がって休んでいいよ」
「承知しました。陛下のお召し替えはお部屋でよろしいですか」
「うん。ありがとう」
具体的に言わずとも全てを察してくれる側仕えにやや苦笑しつつ、エドガーは浴場の扉をくぐった。そういえば、今日は一日ティナとゆっくり話をする機会もなかったように思う。ティナのふわりとした笑顔を思い浮かべると、重い身体が軽くなる心地がした。
埃と機械油にまみれた作業服を脱ぎ捨て、砂漠の太陽と称される鮮やかな金髪をまとめている、紺碧のリボンを解く。中に入ると、中央に設けられた広い浴槽でしどけなくお湯に浸かるティナが目に入った。自然と、口元が綻ぶ。ぺたぺたと裸足で歩み寄り、恭しくひざまづく。
「お待たせ、ティナ」
「エドガー……! もう動力部は直ったの?」
「ああ、大したことはなかったよ」
「よかった」
エドガーの顔を見て、子供のようにぱっと晴れやかな笑顔を見せるティナに、エドガーも釣られて笑う。出会った頃には、記憶もなく、わけもわからず手から溢れる力に対し愁いを帯びた表情の多かった彼女だが、共に戦ううちにすっかり表情も感情も豊かになり、くるくると多彩な顔を見せてくれるようになった。それが万人に向けられていることに胸が痛んだ時期もあったが、昔の話だ。今は、エドガーしか知らない表情もたくさんある。
既に全身を磨き込んだ後なのだろうか、湯に濡れてもふわふわとした柔らかなウェーブを描いているティナの髪にそっと触れる。目の下を赤く染めて、その大きな瞳を細めながらティナの柔らかな手が、エドガーの手に添えられる。愛らしくて、エドガーへの情愛に溢れたその表情は、フィガロ王門外不出の至宝と言っても過言ではない。墓まで持っていく。
そのまま顔を近づけ、柔らかく口唇を重ねた。もう少し深く、と思ったが全身ぴかぴかのティナと違い、まだ湯を浴びてすらいない埃まみれの状態なことを思い出して、少し角度を変えてもう一度啄むだけに留めておいた。
「このまま一緒に入るわけにはいかないな。貴重な湯を汚すなと叱られてしまう」
「そうね。エドガーってば手も顔も真っ黒になっているもの」
「これだから機械いじりは困る」
「でも好きなのよね」
「そうだね」
くすくすと笑うティナに肩をすくめながら、エドガーは湯を被った。スポンジに石けんをよく泡立てていると、ティナが湯から上がる音が聞こえた。ティナがいつから湯に浸かっているのかはわからない。もう限界なのだろうかとやや残念な気持ちになる。
もう上がるのかい、と声をかけようとしたところで、背中にしっとりと濡れた肌の感触を感じた。どきりとする。
「……どうしたんだい」
「洗ってあげようと思って」
「俺を?」
「……うん」
背中に感じるティナの頬と、ささやかながらも柔らかな胸の膨らみの感触と、湯で温まった肌の熱が、否応なしにエドガーの熱も煽り立てる。背中越しにとくとくとティナの心臓の音が伝わるようで、たまらない気持ちになってくる。ティナの細い腕がエドガーの前でしっかりと組まれ、彼の逞しい肉体を味わうようにするりと撫でられて息が詰まる。
普段は控えめで、こういうことはエドガーからというのが半ばお決まりと化しているのだが、ティナからというのは珍しい。だが、どうしようもなく嬉しい。
「では、お願いするよ」
ティナの手に、たっぷりと泡を含んだスポンジを握らせて、エドガーは微笑んだ。ティナは嬉しそうにエドガーの背中にひとつキスを贈ると、ぴょこりと彼の隣に身を乗り出した。
「まかせて。うんときれいにしてあげる」