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2019/02/11 20:03
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 フィガロ国王夫妻の訪問から数日が経ったものの、セッツァーとリルムの奇妙な共同生活は相変わらずのままだった。変わったことと言えば、リルムが少しおとなしくなったことだろう。以前ほどまとわりついてくる機会が減り、腕に無邪気に押しつけられる柔らかな感触をひっそり堪能することも少なくなった。それはそれでやや残念な面はあるが、自分の意思とは無関係に反応してしまった己を慰める際に罪悪感を感じることがなくなるのは精神衛生上良かったとも思う。
 ただ、これまで無邪気に向けられていた視線と好意に、何か別の色が混ざってきたような気がする。セッツァー自身もきっとそうなのだという自覚はある。カジノに出ても、目を引く女はいなくなった。
 営業前の自由時間にカジノホールでソリティアに興じる隣では、リルムが座り込んでスケッチブックに何かを描いているような風景がすっかり日常に溶け込んでしまって、今更ながら奇妙なものだなと思う。元々セッツァーは自由気ままに過ごすのが好きで、スピードとスリルが何よりも生き甲斐だ。それなのに、今はどうだ。いくら30代も折り返しとはいえ、ぬるま湯に浸かりきってしまうのは早すぎる気がする。砂漠の国王を見ろ。
 カードを並べながら、ちらりとリルムを見やる。
 白くなめらかな肌に、柔らかな金髪、大きな瞳とぽってりとした唇。全身どこをとってもほんのりと色づいていて、みずみずしさと艶やかさが見事な共存を果たしている。身体のラインははちきれんばかりの若さと女らしさを余すところなく表現しており、たわわに実った胸元の膨らみなど、もはや膨らみなどという表現では足りないほどだ。故郷の村にいれば、さぞ引く手数多だっただろう。実際に、カジノでもあの子を紹介してくれという声は後を絶たない。
 本来なら、彼女のこうした成長をずっと間近で見守るのはもっと適役がいたはずなのに、その役目をあっさりと自分に譲ってきたのがそもそもの発端な気もする。孫かわいさに家出同然の出立を何でもないように承服するのも程々にしやがれと恨めしい気持ちが湧いてきて、セッツァーは眉間に皺を寄せると、盛大にため息をついた。それさえなければ、もう少し違う形でいられたのかもしれないのに。
 とはいえ、セッツァーの中で賽は投げられた。もう、後戻りはできないしするつもりもなかった。

「今日は何日だった?」
「えーとね、8日」
「そうか」

 ホールに時計の音が鳴り響いて、リルムがスケッチブックや画材を片付け始めた。そろそろカジノを開ける時間だからだろう。カードの山札もちょうど捌けた。頃合いだろう。

「今日は開けねえ」
「えっそうなの? どこか具合でも悪い?」
「あと、場所も移す」
「ええ……?」
「出すぞ、お前も来い」
「あっ、ちょ、セッツァー!」

 困惑するリルムを置いて、飛空艇の操舵をするべくずんずんと甲板へ向かう。言葉が足りないのはわかっている。そもそも、自分の中でもあまりはっきりと言葉にできないでいる。それでも、今しかない。
 夜の帳が下りようとしている中、風を切っていると昔を思い出す。あの頃も、そしてあのときも、こんな燃えるような赤い空だった。かつて空を駆るセッツァーの前には常に魅惑的な尻があったものだが、そこに誰も立たなくなって久しい。それが、隣には帽子が飛ばされないように押さえながら立つ少女がいて、流れる雲を一緒に眺めるのがいつの間にか当たり前になっている。
 キズ野郎、ではなくセッツァーと名前を呼ばれるようになったのはいつからだったか。腕にまとわりつかれて柔らかな胸の感触を意識するようになったのは、その髪、その身体、その全てに触れてみたいという劣情をそんなはずはないと抑えるようになったのはいつからだったか。そうしなければならない、と思い込むようになったのは。
 ……あんなにするつもりはなかったのに、一瞬我を忘れてしまったのは一生の不覚と言えよう。

*

 元々そう遠くないところに停泊していたものの、目的地に着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。とはいえ、月明かりがこれだけあれば着陸には何の支障もない。

「こ、ここって」
「久しぶりだな。相変わらず変わり映えのない景色だ」
「……」

 飛空艇から数百メートル離れた先に見える村、その北側にある大きな岩山はどれも見覚えがありすぎるほどの景色で、リルムはぐっと黙り込んだ。ついに、「そのとき」が来てしまったのかもしれない。いつだって「そのとき」は唐突だ。だが、これは予告できたことじゃないのかと恨み言のひとつも言いたくなってくる。

「舞台は選ぶものだからな。さてリルム、もうわかってるだろうと思うが……そろそろ、決着をつけるぞ」
「けっちゃく……」

 月明かりに照らし出されたセッツァーの銀髪がとても綺麗だった。

「そうだ。お前ももう18になる。身の振り方を真剣に考えるときだ。だから、決着をつける」
「……」
「……俺は、とんでもない腑抜けだった。何だかんだと理由をつけて、賭ける勇気すらなくしていたんだ。だが、それももう終わりだ。俺にはやはり賭けることしかできねえ。お前はどうだ? 賭ける勇気はあるか?」

 目の前に差し出されたダイスに、リルムはごくりと唾を飲み込む。セッツァーの言葉の真意はあまりよくわからないけど、乗らなければその場で負けるだけだということは感じた。セッツァーの目は、カジノで一番の勝負をするときのそれと、同じだった。

「……わかった。リルム乗るよ。どうすればいいの?」

 ダイスを取ると、セッツァーが笑った。不敵な笑みにどきりとする。セッツァーはその気になれば、手段は選ばない。カジノへの出入りは禁じられていたので、ギャンブルのことはよくわからないが、彼が度々トラブルに巻き込まれていたことは知っている。自ら巻き込まれに行っていたと言う方が正しいかもしれない。そんなセッツァーと勝負するなど、無謀なことはわかりきっているが、その場で不戦敗になるよりはマシだと思った。

「フッ、いいだろう。ベットは俺とお前それぞれの全てだ。勝った方は自由にすればいい。ゲームも、至極単純なものにしてやる。"真剣勝負"だ。……意味はわかるな?」

 こくりとはっきり頷くリルムの瞳には、覚悟が宿っていてセッツァーはぞくりとした。どういう相手であれ、その瞳はセッツァーの興奮を煽ってやまない。これだから勝負事は辞められない。チップコインなどではなく、己の全てを投じての賭けなどそうできるものではない。さすがにあの頃のような命のやり取りではないが、それでも充分だ。乗ってくるリルムの度胸には素直に賞賛を贈っておいた。心の中で。

「ルールは簡単だ。俺とお前がそれぞれ二つのダイスを投げて、出目の合計がデカい方が勝ち」
「それだけ?」
「ま、俺が今適当に考えたゲームだからな。あまり深く考えるな。運さえ引き寄せられれば勝てるようなゲームの方が、決着をつけるには相応しい」
「……勝ちたい?」
「俺は勝負なら何でも勝ちたいね」

 楽しそうに指先でダイスを弄ぶセッツァーに、リルムは何も言えないでいる。急に「勝った方は自由にすればいい」と言われても、何を自由にすればいいというのだろう。運さえ引き寄せられれば勝てると彼は言うが、ダイスはセッツァーの持ち物で、薄いカードすら武器にしてしまうような彼にかかれば、目当ての出目を出すことなど朝飯前のように思えた。

「疑うなら改めてくれてもいいし、お前がこの場でダイスを作ってもいいぞ」

 そんなリルムの考えを見透かしているのか、セッツァーが不敵な笑みを浮かべて言う。それでも、リルムは首を横に振った。

「ううん、いい。リルムはセッツァーを信じる。……好きだから」
「いいだろう。お前の気持ちは受け取っておく。ショーダウンだ。」

 リルムを帰したいだけなら、こんな賭けなど必要ないということはわかっている。セッツァーも多分迷っているから、だから運を天に任せることにしたのだろう。だが、迷う理由はリルムにはよくわからなかった。
 ……もし、外れていたらと思うと、怖くて聞けない。
 あの夜から、何かが確実に変わっていることは感じている。その変化が何をもたらすことになるのかはわからなかった。ただわかったのは、リルムはやっと土俵に乗せてもらえたのだということだった。
 月明かりに照らされながら、まるで舞うようにダイスを投げるセッツァーは、カジノの上客である貴族達よりも洗練されて見えて、全てがスローモーションに映って、目を離すことなどできそうになかった。泣きたくなるようなひとつの想いが溢れて、そんなことを今更知りたくはなかったなとリルムは思った。
 リルムの望みは一つだ。叶うなら、もう一度。許されるなら、永遠に。
 セッツァーのアメジストのような瞳に、一瞬だけ迷いの色が浮かんですぐに消えた。
 そういえば、「お前の気持ちは受け取っておく」と言われたのは初めてだった。

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