月に手を


エッジとリディアの結婚式と披露宴のためにエブラーナ城に招待されたポロムが、外の空気を吸おうと何となくテラスに出てみると、先客としてカインがいたというベタベタなシチュで(前説)


2020/01/11 01:43
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「カインさん、どうしてこちらに?」
「こういう席はどうにも苦手でな。邪魔なら退散するが」
「い、いえ、邪魔だなんて……。私こそお邪魔いたしましたわ」
「そうは言っていない。ここからの眺めも悪くはないぞ」

 そう言われては、密かにカインに想いを寄せているポロムとしては是非もなく、少しだけぎこちなく距離を取ってカインの隣に立つ。
 確かにいい眺めで、エブラーナの周辺が一望できる。さすがは忍者の城といったところだろうか、と思いながらふと空を見上げると、これ以上ないほど丸々とした月が輝いていた。
 今や姿を消した「もうひとつの月」では昔から本当に色々なことがあったし、沢山の犠牲を生み出した。だが、「もうひとつの月」がなければ、こうしてミシディアを出て数々の戦いに身を投じることも、カインに出会うことも、なかった。

 それでも昔から月はこうして輝いていて――

「……綺麗ですね、月」

 それは何の他意もなく、思ったことがぽろりと口を突いて出たひとりごとに過ぎないはずだった。が、それを聞いている相手が隣にいることと、同時に自分が発した言葉には定番の隠された意味があって、隣の相手にだけは聞かれてはまずいことを思い出してポロムは慌てた。

「あ、あの、カインさん、今のは別に意味があるわけではなくてですね……」

 言い訳をしかけて、これでは意味がありますと宣言してるようなものではないかと、ポロムは口をつぐんだ。妙な言い訳をしなければ、カインのような堅物な朴念仁が意味を察することもないだろう。そうあってほしい。

「……そう、思っただけなんです」

 カインから目を逸らし、そうぽつりと呟くのが精一杯だった。
 横目で見える限りでは、カインは表情ひとつ変えずに月を見上げている。それはそれでちょっと複雑な気持ちになるのだから、本当にどうしようもないなと内心自嘲する。
 月を見上げていたカインが、やはり表情ひとつ変えずに、自分もひとりごとだとでも言うように発した言葉が、ポロムの耳を心地良くくすぐった。

「――そうだな。月は昔から綺麗だが今の月はまた違う。昔はまるで手が届かなかったが、今見ている月なら、届くかもしれないな」
「え……」
「フッ、意味があるわけじゃないさ。俺も竜騎士として成長したことだし、お前の言葉を聞いて、そう思っただけさ」

 それだけ言い残して、カインはそのまま立ち去ってしまった。
 去り際のカインの優しい笑みに胸の高鳴りが止まらなくて、顔が熱くて、少しだけ冷たくなってきたはずの夜風が心地良かった。

 ああ、そんなはずはない。あのひとの言うとおり、ただ文字通り竜騎士として今なら月にも手が届くかもしれないと、そう素直に思っただけなのだ。意味などないと言っていたではないか。
 そう思わなければいけないのに、どうしても止まらなかった。

「ああカイン、探したよ。どこにいたんだい」
「外の空気を吸いにな。俺がこの手の席が苦手なのは知っているだろう」
「まあ、そんなことだろうとは思っていたけど」

 やれやれとため息をつくセシルに、カインはフッと笑った。

「たまには席を外してみるのも、悪くないものだ」
「何かいいことでもあったのかい。苦手な席に戻ってきた割には機嫌が良さそうじゃないか」
「……ああ、そうだな。今なら本当に、月に手が届く……いや、掴めるだろうなと、そう思えたんだ」
「それはよかった。カインなら掴めるよ。お望みならお膳立ては任せてもらいたいね」
「フッ、そのときは大いに当てにしておこう」

 そこまで話したところで、セシルは今日の主役に大声で呼ばれた。「じゃあまた後で」と水のような見た目の不思議な味わいの酒を渡され、それを一口飲み、先程のテラスでの会話を反芻する。
 最初は本当に、何の他意もなく思ったことをそのまま素直に口にしただけなのだろう。そうわかっていても、その言葉には心が動いた。いつもどこか張り詰めた顔をしていた少女が、柔らかく笑うようになったことに、ただ安心していただけだったはずなのに、その存在感がどんどん増していくことに気付いたのはいつだったろうか。
 それだけは許されまいと思っていた。だから、あのときの二の舞であろうと、墓まで抱いていくつもりだった。ところが、彼女が自分の発した他意のないはずの言葉に頬を染めて言い訳を始めたあのとき、その言葉には意味が込められてしまったことを知った。
 そう思いたいだけなのかもしれない。それでも、許されるのならその手に掴みたくなった。だから、思ったことをそのまま口にした。驚くほどあっさりと口にできたことに、カインはもうひとつの確信を得た。

 今度こそ、あのときのようにはならないだろうと。

 会場となっている広間を見渡しても、ポロムの姿はまだない。そろそろ夜風も冷たくなる頃合いだ。寒い思いをしてはないだろうか。
 カインは空のグラスを給仕に渡すと、テラスの方に向かって歩き始めた。

 美しい月を一緒に眺めるために。これからもずっと。

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